魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
 お坊様から尼僧さんへ送られた文(ふみ)。恋文ではない?ようですが、
 ソウル・メートへ宛てられたラブレターだと言っても良いのではと思っています。


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6月26日の満月です。
 





 拔隧(ばっすい)禅師假名法語の一節
                     (眞龍寺尼長老に與ふる文)


 成佛の望みあらん人は、佛になるべき主を知るべし。この主を知らんと思はば、只今の一念の下(もと)について尋ぬべし。一切の善悪を念(ねが)ひ、色を見、声を聞く物は何者ぞと、自ら深く疑えば必ず悟るなり。悟れば即ち佛なり。

 佛の悟る悟りは、一切衆生の一心なり。心體浄(きよ)くして、一切の境界にそむく事なし、女人の身にある時も、女人の相に非ず、男の身にある時も男の相に非ず。通身(つうしん)に充満して、目に色を見るも、耳に声を聞くきくも、鼻に香をかぐも、口に物を云うも、手をうごかし、足をはたらかすも、一心の用に非らずと云う事なし。この心を離れて、外に向ひて佛を求め、法を求めるを、迷の衆生と名けたり。この身は是れ佛なりと悟る人を佛と名けたり。この故に自心を悟ずして成佛したる衆生なし。この心は六道の衆生に各具足(☆1)して、獨(ひと)りも漏ることなし、なほ虚空の萬(よろず)に充満したるが如し、隔(へだたり)あることなし。

 諸佛この一心を悟りて衆生に示すに、衆生鈍根にして、有相に深く着して、この清浄の真佛(しんぶつ)を信じ得ざる故に、喩(たとえ)を似(もっ)て説くとき、
この心を如意宝珠と名(なず)け、あるときは大道と名け、あるときは阿弥陀と名け、あるときは大通智勝佛と名け、或は地蔵と名け、或は観音と名け、或は普賢と名け、或は父母未生以前本来面目と名く。一切の佛菩薩の名は、一心の異名なり。自ら我が心佛を信ずれば一切の諸佛を信ずるにあたるなり。

 この故に経に曰(いわ)く、三界唯一心なり。心の外に別に法なし、又一切経は衆生の身上を指したる詞(ことば)なるが故に、自ら一心を見る人は、一切経を一時に読むにあたるなり。この故に、経に云はく、修多羅の教(おしえ)は、月を指す指の如しと。修多羅の教とは、一切経なり、月を指すとは、衆生の一心を指すを云へり。一心を似(もっ)て内外を照して明からむるを、月の世界を照すと云へり。

この故に千日萬日経を読みたらんよりも、一念一心を見たらん功徳は限りなきまさりなり。又千年萬年この理を聞かんかんよりも、一念自心を見たらん功徳は限りなきまさりなり。

 釈尊は萬の難行苦行をなされしほどは、終(つい)に成佛せず、六年萬事なげすてゝ、座禅して心を悟り、即ち正覚を成して一切衆生の為に心法を説かれたるを、一切経とは云へり。 この故に諸経は皆な佛の悟りの一心より出(いで)たるなり、この故に一心は、只今諸人の胸の中にありき、六根の主たり。かやうに悟りて自心是佛なりと云ふことを知るべし。

 心性本より佛衆生の隔なしと云へども、妄想の心念に隔てらるゝこと雲の日月(にちげつ)の光を隠(かく)すが如し。然れども工夫の力によりて、妄想の消ゆること、風の雲をはらうが如し。妄想の念断(たち)ぬれば、佛性の顕(あら)はるゝこと、雲消えて月彰(つきかげ)はるゝが如し。只本の光彰(ひかりあら)はるゝなり。これ初めて外より得るにあらず。

 この故に生死輪廻の苦を免かれんと思はゞ、心を悟るべし。心を悟らんと思はゞ、座禅すべし。座禅は工夫を宗(むね)とすべし。工夫と云ふは、公案を深く疑ふべし。公案の根本は自心なり。心を悟りたき望の深きを志とも云ひ道心とも云ふなり。念の起るを止めんともすべからず二念をも嗣ぐべからず、只念は起りもせよ、止みもせよ、只偏(ひとえ)に自心これ何ぞと疑ふべし。

 座してもかくの如く疑ひ、立居につけても、寝ても覚めても、只自心の悟られざることを念として、底(そこ)にとほりて疑ふを、工夫とは云ふなり。工夫一偏になりて、疑の心底(しんてい)にとほる時、疑ひつひにやぶれて、即心即佛の正體の彰(かげ)はるゝこと、箱やぶれて鏡の隠(かく)るゝ所なきが如し。十方世界を照して十方世界に跡なし、この時始めて六道輪廻の道断(た)えて、罪障消滅す、この時の心の中の楽、辭(ことば)を似て述べがたし。

 たとへば夢の中に地獄に堕ちて、獄卒(ごくそつ☆2)にさひなまるゝと見て、苦み限りなきとき、この夢急に覚めて、一切の苦、一も残らざるが如し。この時生死(しょうじ)を脱すと云ふなり。かやうに悟らんこと、人によるべからず、只志によるべし。佛と衆生とは、水と氷との如し、氷にてあるときは石瓦の如くにして自在ならず、解れば本の水にて、縁(ふち)に隨(したが)ひ滞(とどこう)ることなし。迷ふときは氷の如し、悟れば本の妙體なり、氷の中に水にならざる氷なし、これを似て知るべし、一切衆生と佛と隔なきことを。只迷の一念を隔とするのみなり。迷の一念解けぬれば衆生則佛なり。ゆめゆめ退屈の心を起すことなかるべし。

 従い志浅くんば、今生に悟らずとも、工夫をたしなむこと、念々怠らずして、志の中にて臨終したらば、来生には必ず生まれながらに悟るべし、今日仕かけたることの、次の日は安きが如し。さればとて油断あるべからず、只今臨終に及はゞ、何事か用に立つべき、只罪業の身にそひて、地獄とならんをば如何せん(☆3)。幸に解脱の大道あり、只この一句を胸にあてゝ見るべし、“如何か是れ自心の佛”と、一切の諸佛の體(からだ)を一目に見んと思はば、只我一心の姿を悟るべし、真(まこと)かそらごとか急に眼を着けて看よ、“如何か是れ自心の佛”と、若(も)しよく心を悟らば、火中に蓮華開けて萬劫を経ても凋(しぼ)まじ、諸人本より蓮華の上にありながら、何としてか知らざるや。





(☆1)
 具足 ・ 充分に備えている

(☆2)
 獄卒(ごくそつ) ・ 牢番

(☆3)
 地獄とならんをば如何せん ・ 実際には地獄はありません




「霊学講習会中級」の資料(昭和51年1月)。昔の漢字が多いので今の漢字に置き換えている部分もありますが、大切な意味は損なわれていないものと思います。
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