魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
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世界不思議発見・TV画面より
 



 生命そのものに仕えることだ。

 あなたが生命に仕えれば、生命はあなたに仕えてくれる。それはあなたと生命がひとつだからだよ。
 生命に仕えるということは、あなたに仕えるということだからだ。だからこそ神の仕事はあなたがたに仕えることなのだ。


 ちょっとちょっと、わかってもらってないんじゃないでしょうか。それじゃ話が逆です。わたしたちの仕事が神に仕えることなんです。

 わかってないのは、あなたのほうだ。あなたがたの仕事は神に仕えることではない。なぜなら、神はあなたに仕えてもらう必要などないのだから。あなたがたは「昨日の神」にはその必要があると考えていた。だが、「明日の神」は、そうではない。

 わたしたちは明日の神に仕える必要はないんですか?

 そんな必要はない。それどころか、「明日の神」はあなたがたに仕えるだろう。それが神の働きだから。事実、それが「昨日の神」と「明日の神」の重要な違いの八番めなのだよ。

 (8)「明日の神」は、あなたがたに仕えることを求めない。「明日の神」はすべての生命のしもべである。


 驚いたな、ちょっと待ってください。神は大いなる師、〈マスター〉であって、「しもべ」じゃないですよ。しもべはわたしたちで、わたしたちが大いなる師の足もとにひれ伏すんです。

 言っておこう。〈真のマスター〉とは、最も多くのしもべを創り出す者ではなく、最も多くの〈マスター〉を創り出す者だ。

 じつは、あなたがたはすべて〈マスター〉である、と教えてあげるのは、わたしにとって楽しいことだ。わたしが何者かをあなたがたに教えてもらう必要はない。そんなことは知っているからね。忘れているのはあなたがたのほうなのだよ。

 だから、わたしは自分をあなたがたに仕えさせ、あなたがたに思い出させてあげる。あなたがたがわたしに仕えるとき、あなたがたは自分が〈マスター〉であることを示すことになる。


 でも、さっき、わたしたちがあなたに仕える必要はない、とおっしゃったではありませんか。

 言ったよ。あなたがたはわたしに仕える必要はない。祝福される日が訪れてあなたがたが、「明日の神」を受け入れれば、あなたがたはもう神に仕えよと命じられることはない。だが、あなたがたが自由意志で神に仕えるとしたら、そのとき、あなたがたは自分には何も必要がなく、すべてをもっていて、自分がもっているすべてを神に捧げることは大きな喜びであると示すことになる―それが〈マスター〉というものだ。

 さて、さっきの「神」という言葉と「生命」という言葉を入れ替えてごらん。そうしたら、地上で平和と調和と幸福を見いだす(じつは創り出す)秘密の処方箋が明らかになるだろう。

 考え、語り、行うすべてにおいて、まず生命に仕えなさい。「この考えは生命を育むのか、損なうのか?この言葉は生命を豊かにするのか、乏しくするのか?この行動は生命を支えるのか、傷つけるのか?」と自分に問いかけてごらん。

 そう問いかけて答えることが自動的なプロセスの一部になり、いちいち考えなくても自然にそうするようになるのは、あなたがたがいま地上で知っているかたちの生命を維持しようという気になったときだ。あなたがたがそういう意識をもてば、きっと維持できるだろう。

 しかし、あなたがた一人ひとりが自分には何かが欠けていると思っていたら、まず生命に仕えることはできない。生命に仕える前に、いつも自分のニーズに仕え、自分のニーズを満たそうとするだろう。いっぽう、自分は生命であるとわかっていれば、すぐに生命に仕えることは「自分」に仕えることだと気づくだろう。これがすべての〈マスター〉への道の第一歩だ。
・・・・・






 自然に、小さな自分の限られた視野にあるよりももっと高い目標に向かって、もっとスケールの大きな利益を求め、もっと大きなゲームに参加してプレイすることになる。

 そうすると「人びとにとってのベスト」が「自分にとってのベスト」だと思うようになるんですね。なぜなら、その人びとは自分だということがわかるから。自分は人びとの一部であって、人びとと一体だから。

 わかってきたようだね。
 仕え方には、いろいろある。自分にとってのベストを目指す行動か、人びとにとってのベストを目指す行動か、あなたの魂はちゃんと知っている。この二つの考え方が衝突するとき、たとえあなたにはそれが自分のベストだと思えなくても、人びとにとってのベストを目指す行動をすればどう感じるか、あなたの魂は知っているのだよ。

 それはどんな感じかといえば、大きいという感じだ。あなたはふいに、自分がもっと大きくなった、ひろやかになったと感じる。内側がひろがった感じだ。それを「無私」と呼ぶ人もいる。

 そのとき、あなたは「小さな自分」という感覚を捨て、それよりも大きくひろやかな「自分」という感覚をいだく。あなたは「大きな自分」になる。それはほんの一瞬かもしれないし、もう少し長いかもしれないし、あるいは一生続くかもしれない。だが、その感覚を経験すれば、決して忘れることはない。


 それは、わたしの生涯最大の課題です。
 わたしはいつも、自分のことを真っ先に考えてしまう。いつも、小さな自分にまず仕えてしまうみたいなんです。そして、他人にもまず自分に仕えてほしいと思ってしまう。自分の役に立つと思うときにだけ、誰かのために何かしようという気になります。何らかの意味で自分に役立つのでなければ、ひとに尽くそうとはしない。そのせいで、大切な人間関係をたくさん壊してきました。

 で、どんな感じがする?

 ひどいです。ひどい気分ですよ。

 それでは、結局、自分のためになっていない、そうではないかな?結局は自分のために役立っていないだろう?

 そうなんです。自分の幸せが目的だとしても、幸せになっていません。どうすれば、こんな生き方をやめられますか?どうすれば、こんな行動を改められますか?
 
 あなたはそのことに気づいている。それが第一歩だよ。






 ・・・・・
 あなたが自分に欠乏していると思うものを―愛、共感、ふれあい、お金、何でも―与えれば、なんだ、自分はそれをもっていたんだという経験をするだろう。そうなると、すべてが変わる。あなたの考え方は180度変化し、自分にはないと思っていたものがあるのがわかる。

 あなたにはある。あるのだよ。必要なのは、それを増やすことだけだ。もっていないものを増やすことはできない。だが、もうもっているとわかったのだから、その経験をひろげるのは簡単だ。

 だが、覚えておきなさい。その経験は量とは何の関係もない。1ドルもっていて25セント与えるのも、100ドルもっていて25ドル与えるのも、同じことだ。経験を量ではかることはできない。

 与えるか、与えないか、どちらかだけだ。

 愛するか、愛さないか。「与える」ことは量ではかれはしない。愛もはかれはしない。あるひとを「たくさん」愛して、ほかのひとを「少し」愛することはできない。愛するか、愛さないか、どちらかだ。その愛をどう表現するか、それは別の話だよ。愛はいろいろな方法で表現できるだろうが、それが愛であれば無条件のはずだ。量的な条件など、あるはずがない。




     「明日の神」 ニール・ドナルド・ウォルシュ サンマーク出版
 
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