魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
 先日お会いした時出ました、「今の原因は未来にある」というお話、少々長くなりますが、以下に載せます。
お暇な時にでも、たいくつしのぎにどうぞ。


 かねてより探っていた「運命のコントロール」の部分で、やはり時空間の仕組みにトリックがありました。

 われわれは過去から未来に向かう時空間のベクトル上にいるので過去の原因による結果を受け取って未来につなげていると考えていますが、われわれは意識のトリックにひっかかっていて、原因はすべて未来にあるというのが結論です。

 つまり実際は、まず未来に原因を作ってそれを今の状況に結び付けて道筋を考え、行動を起こすということをわれわれはやっていて、簡単に言えば
「今日の夕食は中華を食べる」
という未来を作った上で、
時間・店の設定・道筋・混雑の状況・予約などのセッティングをはじめ、今に結び付けていく作業を通して、現実化していくということを日常でもやっている。

 未来に存在しないものというのは実はなくて、有りとある全部が存在している。われわれはその中から特定の要素や特定の状況をセレクトして「今」に持って来る。

 科学的な発明・発見や芸術の世界の革新的なアイデア等も実は未来から持ってきています。
 つまり創造はかならず未来から今に向かって行われている。
 
 そして過去というのは、無限に積み重ねられてきた「今」の記録の集積回路であって、ただその記録はわれわれの中で様々な印象や感情をともなって意味付けをされ、複雑に絡み合った「記憶」として保存され続けているので、われわれの発想や行動に強い影響を与えつづけることになる。

 その総体のことをわれわれは「心」とか「人格」と呼んでいて、本来完全に自由なはずの意識に強い束縛を生み出している。
 このことが本人の意識の傾向に一定のがんこなパターンを作っていて、なかなかそこから自由になれないため、本人はなかなか自分の人生の傾向を変えることが出来ない。

 この膨大な「記憶」から様々な印象や感情の意味付けを完全に払拭し去って、本来の意識の自由を取り戻すというのが古来からの「悟りの道」といわれるもの。

 たまたま大きな事件に遭遇して、人生観が変わってしまいそこから運命が変わっていったということがままあるが、これは本人の「記憶」の構成要素である「記憶」に対する「意味付け」
が変更されて、記録に変更はないものの、それに対する「意味付け」の部分が変わってしまうので、本人の「人格」そのものが変容を起こしている。

 つまりこの段階で彼の「未来」に対するセレクトの傾向が変わってしまっている。

 そして、われわれは「過去」を理解することで、「今」をうみだした未来から来る「創造の原因」をわかっていく、つまりわれわれそのものを生み出した原因に向かって未来に向かい続けている。

 しかしどこまで未来に進み続けてもその究極の原因にはたどり着くことが出来ないため、そのことが無限の進化を生み出し続けていて、これがさらに生み出される新しい宇宙創造の機動力に結びついている。

 実際にはわれわれも宇宙も「今」にしか存在しないというのが事実であり、そこに過去と未来という2つの対局を作り出すことで「動き」を生み出し、この宇宙そのものをつねに活性化させ、創造と進化の「循環」を作り続けている。

 そういう意味で言えば、過去と未来は同時に存在するとも言えるし、実際の宇宙には「今」しか存在しないとも言える。

 次元というものの観点から言えば、この「心」とか「人格」に相当するのが3次元であり、「意味付け」というのが4次元に該当している。
5次元は「生命の統一場」
状況を切り抜けていくと言うのは、いかに明確にはっきりと「未来」をセレクトして原因としてセッティング出来るかと言うことであり、これにはやり方がある。

 まず特定の「未来」から今に結びついてくる要素をセレクトしたら、つまり、こうなったらいいなとか、こうなるんだという風に「未来」の状況をセレクトしたら、そこから意識を動かさないこと。

 そしてその状況を味わっている意識の状態によく慣れること。
あれやこれやといろんな可能性を考えていると逆にセッティングがあいまいになる。
 だから考えることをやめる。
 目の前にある具体的なことに対する対処以外には思考を使わない。
 そして努力しなくてもその「未来」に結びついている意識が常にあり続け、消えることがなくなったら、その状態のまま「今」に注目を続ける。
 やるべきことはたくさんあるが、それらすべてがセッティングした「未来」に自動的にからみあいながら進み始めるので、後は自然にまかせる。

 この「未来」をいかに自由にセレクト出来るかという点で、われわれは先入観とか決め付けとか既成概念といった「記憶」の作用から自由にならなくてはならない。
 つまり自分というものから自由になっていかなくてはならないわけです。
 束縛から自由になるためには、その束縛そのものについて理解してしまう必要がある。
 そのためには「自己」に対する深い愛と理解の目が必要です。


                                                2005.02.18


kepirohi0001.jpg
(ケプロイ滝 http://www1.plala.or.jp/maui/large/kepirohi01.htm

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