魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
 「八重の桜」の第2回を見ました。

 1回目は見忘れました!

 僕は会津人なのです。

 近隣の地方から、「あそこの人は狂っておるから・・・」 と言われる会津。

 ドラマにも “やむにやまれぬ心に、ならぬことを破ろうとする” そんな箇所が幾つかあり、ああ、、自分にも流れているなあ・・・ってつくづく感じました。



 
 会津は「ならぬものは、ならぬ!」という掟のある封建的な社会でもあります。殆んどのことはこの掟で押さえ込むことが出来ます。

 「八重の桜」では“女は、銃を持ってはならぬ”という掟と、“どうしても砲術を極めたい”八重の心情がまず描かれています。

 今でも、“女だから”と言うだけで、男から、社会から制限を受けていることは色々ありますよね!

 この “ならぬ” ことが他愛の無いことなら未だしも、“人の在りかた” に関わっていたり、組織のトップが “ならぬ” ことに縛られて自由な心を失うと、個人に大きな痛手を与えたり、組織全体にも大きな悲劇が襲うことがあります。




 明治維新のとき、会津藩は天皇に刃向かう「賊軍」とされ、 会津戦争で薩長軍に敗れ、その後に辛苦を舐めることになります。

 その少し前、ほとんど無秩序になった京都の治安を回復するために、会津藩主・松平容保(かたもり)は京都守護職につきます。

 政治力や、からめ手、駆け引きの苦手な、実直な、容保を始めとする会津藩士は騒乱を静めるために身を粉にして働いたことが評価され、そのときの尽力に孝明天皇は感激し、宸翰(しんかん=天皇からの手紙)を容保に渡します。

 これまで天皇が武臣に宸翰を下すことは皆無であり、いかに孝明天皇が容保を信頼していたかがわかります。

 会津藩主・松平容保は忠義として天皇守り、幕府にも最後まで忠義を尽くした。途中で見限るような「ならぬことは、しなかった」 訳です。

 深く信頼しているパートナーだと、孝明天皇に言わしめた手紙の存在を、明るみに出したなら(実際には明るみにしたらもみ消されたでしょうが・・・)会津は攻撃されることはなかったとも言われています。

 この手紙は会津藩が 「賊軍」 ではない証拠となるため、伊藤博文や山県有朋がその存在を知り、自分達のミスを隠すため血眼で捜します。探し出しますが買い取ることはできず、消し去ることは出来ませんでした。

 “手紙は、人に見せてはならぬ” この手紙は容保が無くなった後、首にかけていた竹筒の中から見つかります。「ならぬものは、ならぬ!」 だったのです。

 


 容保は良かったのかも知れません。人として忠の道を最後まで尽くし、会津藩もその道から最後まで外れることはなかった・・・

 でもね・・・

 「ならぬものは、ならぬ!」 と 「やむにやまれぬ心」 の境目はどこにあるんでしょう・・・

 八重のやむにやまれぬ心が、銃を手に取らせます。

 出きるだけ多くの家臣を守ろうという領主の心、容保のやむにやまれぬ心は働かなかったのでしょうか? (まあ程々を知らないところも会津人の狂気と言えますが・・・)

 僕たちはみんな、過去の掟、しきたり、常識に縛られて生きています。

 それが当たり前だと、その教えに従います。

 教えに従わない人を許しません。

 その今の当たり前の教えは、たかだか数百年前の “やむにやまれぬ心の狂気” によってもたらされたものだと言うことを、誰も気にしていないのが不思議です。



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 会津戦争で約一ヶ月にわたる砲撃を耐え抜いた鶴ヶ城。ボロボロになっていたのを明治7年に明治政府により取り壊された。子どものころは石垣だけでした。よく登りました!








  
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