魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
 今日は何だかんだで2時過ぎまで食事を取りませんでした。
 山道を散歩するつもりでした。
 でももう出ないと、Hot・Potさんのランチが終わってしまう!



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 無事!間に合いました。
 歩こうというのは、隣のムーミン公園の上の山。



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 旧軽では3時間位、のんびりと歩いたのですが、それでも後日、体のあちこちが痛い有様でした。

 この位の坂道までですね歩いたの。もう少し勾配がきつくなると、そこからUターンしてました。^ ^
 


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 旧軽ではUターンだった勾配。こんな急勾配は無理!無理!!
 でも、「四国へお遍路さんに行こうか」って話もあり、この位の階段登れなかったらお遍路さんは、それこそ無理!無理!!
 な訳で、足腰を鍛えるために今日は昇ります。

 この先、とんでもない急な階段が待っています。
 登りきったところから、又しばらくだらだらと登ります。
 目指すは “僕の木” と名づけた、分かれ道に立っている大きなステキな木です。



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 分かれ道です。
 右がムーミン公園。いま登ってきた道です。
 この写真の進行方向(奥へ)は桜山の展望台に続いています。



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 大好きな “僕の木”
 今日は桜山の方ではなく、反対の仏子方面に少し歩きました。



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 帰り道で撮影した “いぐち” です。
 軽井沢のと種類が違います。傘が小動物に食べられて白い管孔(果物なら果肉)がむき出しになっています。



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 また急な急な階段を下りてきました。登り下りで40分ほどでしたが、膝が笑って^ ^しまいました。
 軟弱ですね~!でもジットリといい汗をかきました。

 橋の上は、ママのためにお尻を振ってポーズを取るお嬢ちゃん♪
 


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 冒険小屋の池の周りの、ほぼ平らな道で息を整えてから帰りました。


 
 一月ほど前の夢でしょうか・・・

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 道路を走っています。
 車のつもりなんでしょうが、自分の車は見えません。
 ただ、道路の風景が見えます(夢のスクリーンに道が見えてる)。
 実家からアパートに戻る風景のようです。
 リアルタイムで見えるのではなく、要所々々がコマ落としで見えています。

 この夢、スタート地点はどこだったんだろう?実家かな?道路の途中かな?と疑問に思いました。確認したくなりました。
 一応その夢を尊重して、その夢の最後まで付き合いました。
 福生あたりで終わったような・・・
 いや、アパートの近くの信号を右折しました。

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 そこから道路をUターンして、今来た道を逆に戻ります。
 実家に向かって、また要所々々の風景が続きます。
 結局、実家までは戻らず、この夢は道の途中から始まったようです。
 道路を戻ったことで、怖い風景を見ます。



 夢に意識的に働きかけて、自分の意思で夢をコントロールしたのは多分始めてです。
 ここで問題!それは、
 「夢に意識的に働きかけて、自分の意思で夢をコントロールしたという夢を見た」と言っても正しいからです。


 でも最近また同じタイプの夢を見ました。
 
 白い器で、細めのうどんを食べている夢です。
 だし汁には醤油が入っていないようで、透明です。 
 器にほんの少し残るうどん。もう食べ終わるところみたいです。
 あれ!少し前?うどん以外に何かあったみたい?

 入っていたのは何かな?と見てる夢に興味が湧きます。
 すると、夢は器に何か入っていたシーンに飛びます。
 それはタヌキでも、キツネでも、オカメでもなく、雑草みたいなのが麺の中から生えていました!

 また意識が夢を巻き戻した(過去のシーンを創造した)のです。
 「意識が夢を巻き戻した(過去のシーンを創造した)夢を見た」とも言えますし。



 でも自分の中では夢の内容に介入している感じです。
 寝ているのに、自分のイビキ聞こえたりしませんか?
 あんな半覚醒夢のような・・・

 最近、仕事しながら夢を見ます(手は動いています)。
 電車に乗っていたり、歩いているときも、あぁ・・今見てるの夢だな・・って思います。ちゃんと周りの風景は見えているんですよ。パーソナルは一つで、二箇所にいる感じです。
 ↑
 は起きているときの感じ。

 では寝ているときの夢はと言うと、受動的に見ているだけですよね、普通は。 僕も普通はそうです。でも自分の夢に疑問や興味を持つときって、夢を観察している「別の自分の意識」が少しあります。

 今までもあったのかな?今までは、夢を観察している「別の自分の意識」を意識できなかったのかな?


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 起きているときに意識が少し潜り込む、寝ているときに意識が少し浮上している。顕在意識と潜在意識の交差点にいる状態になりやすいのかな?って思っています。

 潜在意識のケアを続けていますので、自分のセルフ君が助けてくれているのでしょう!嬉しいです♪



 若いころ読んだ本なのですが、カルロス・カスタネダという文化人類学者が、研究のためヤキ・インディアンの呪術師を尋ねます。お礼を払おうとすると呪術師のドンファンに、「わしの使った時間を、お前の時間で払え」と言われ、いつしかドンファンの弟子になってしまいます。

 いろんな面白い話があるんですが、ドンファンがカルロスに夢見を教えるところです。

 夢の中で自分の左手(右手だったかな?)だけを見るように言うのです。夢は訳が分からず彷徨い変化していくものですが、夢の中で自分の手だけを見て、他の夢に変化させずに、ずーーーと自分の手だけを見れるようになるのが、夢見の出発点でした。

 僕の場合、自分の手だけを夢で見るのは無理だと思いますが、自分の見ている夢に対して疑問が起こると、夢が疑問を解決する展開を創造するようです。

 夢の中で座標軸を決めて、自由に自分の決めたポイントに行けるとしたら楽しいと思いませんか?


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 昨日?か一昨日?の朝、トイレに座って本を開くと・・・
 開いたページにちゃんと“命”のことが・・・
 ああ・・・繋がっている。と思う。


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 でも、ひとが本気で、外界の道具(ツール)を使って自分の認識をひろげたい、意識を高めたいと思ったら、どうなんでしょう?それはできないんですか?外に目を向けて、ほかのひとたちが経験したことを知り、そのひとたちの経験について語られたことを聞くのは、「正当な」プロセスでも実践でもないんですか?

 もちろん、そんなことはないよ。外に目を向けることが外に置くことにならなければ、だがね。

 どういうことですか?

 神と生命についての内なる真実を知りたくて、世界が提供してくれるものに目を向ければ、求める情報を得ることができるだろう。求めれば、情報は向こうから転がりこんでくるかもしれない。たぶん、この本がそうだったように。だが、そうしたことに関する権威のすべてを自分の外に置けば、外で見つけたものを、自分のなかにしか発見できないもの――自分の聖なる源――の代わりにしてしまうことになる。

このことを、いつも忘れないように。あなたの聖なる源がある場所はひとつ、たったひとつしかない。それはあなたのなかだ。


 でも、外の世界にもすばらしい援助者が・・・・・・「天使」と呼んでもいいですが・・・・・・いますよね。「新しい霊性(スピリチュアリティ)」の宇宙論をわたしが正しく理解しているとすれば、その援助者は自分たちの探求の成果を分かち与えて、わたしたちの内なる探求を助けてくれるんだと思うのですが。

 そう。そして、その意味ではあなたがたのすべてが天使だ。それぞれがお互いを目覚めさせ、真の自分に気づかせ、自分の経験やプロセスを、できるだけ誠実かつオープンに分かち合うという使命を帯びている。

 わたしたちが言ったりしたりすることが、誰かの心に光をともし、真の自分に気づかせ、つぎの段階の深い知恵に向かってそのひとの心を開かせ、自分自身に引き戻すかもしれないからですね。

 そう、そのとおり!よくわかっているじゃないか!
 だから、すべてを一冊の本に記すことも、ひとりにすべてを与え、すべてがひとつの源から発するようにするのも、やめておこう。それよりも、生命/人生 が、生命/人生 というプロセスを通じて、生命/人生 に、生命/人生 の秘密を求めるようにしたほうがいい。

 みんなにこう言えばいい。自分を振り返ってごらん、と。外部的な経験がじつは内なる大きな知恵につながっていたという、そんな経験を 生命/人生 は与えてくれるよ、と。そうやって振り返ってみることが、地球に「新しい霊性(スピリチュアリティ)」が現れる場を創造しようという努力のあかしになるのだ。

 すべてが――このテーマについて語られるべきあらゆることが何もかも――一冊の本に見つかるはずだと考えているひとは、古い思考のパラダイムに捉えられているのだよ。

 すべてのメッセージが一冊に、ひとつの聖なる書物にこめられているというのは、「昨日の神」のことだ。「明日の神」を知るひとは、そんなことは決して言わない。

 それどころか、「昨日の神」を危険にしたのは、そういう考え方だ。ひとつの源から発し、ひとつの聖なる書物に記録されたひとつの具体的な教えを信じないと「信者の集団」に入れてもらえず、否定され、嘲られ、遠ざけられ、追放され、非難され、弾圧され、攻撃され、殺される。

 「明日の神」はひとつの源があるなどと決して言わないし、「新しい霊性(スピリチュアリティ)」の考え方には、そんな排除的な教えは含まれていない。

 「新しい霊性」は閉じていない。開かれたシステムで、つねに成長し、つねに拡大し、いつもつぎのものになりつづけ、生命/人生 そのものと生きとし生けるものの体験の集合に自らの根拠を求める。ここで話しているのは唯一の文書に記された唯一の教えではなく、その集合であるたくさんの本や記録や人びとの経験談と共通のひとつの体験なのだ。





「明日の神」 ニール・ドナルド・ウォルシュ p234~236「サンマーク出版」


  
 
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 始まる前、トータルヘルスデザインの会長・近藤洋一さんと何やら会話中の講師・飯島秀行さん。



 ノートにけっこう書き込んだんですが、読み返してみても、ノートの言葉には「命が宿っていない」・・・ここにUpしてみてもセミナーで聞いたことは殆んど伝わらないでしょう。

 眠たいセミナーも多いんですが、2時間アッという間でした!ボソボソと小声で話すお話は、ちっとも上手ではないんですよ。とぼけた、変な、大変面白い先生でした。天才ですかね?

 セミナーも終盤、何処からか携帯の着信音?が!ピコン・ピコン・ピコン・ピコン(胸のカラー・タイマー音)・・・
 「あっ!ウルトラマン」「僕もー帰っていいですか?」って言ったあと「(空白・・・)何話すのか、忘れちゃった!」会場爆笑!!

 技術とか科学の分野の方なんですが、お話は哲学(あるいは魔術)でした。

 「命に仕える」と決めた結果、このセミナーを聞く体験をしたのでしょうか?

 

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 セミナーが終わって外へ。行われたTFTビルと国際展示場正門駅。



 9月が新たなスタートになっている人、結構いるようです。

 9月4日の瞑想会で夢の話をしたことで希望と変化のスイッチON。
 11日、Kさんと会って「命に仕えよう」と決意。
 18日、「そう決めたので力を貸してください」と教会の祭壇の前で祈ることになってしまいます。
 23日、フリーエネルギーは「命の原理の中にある」と聞くことになりました。

 だいたい「命に仕えよう」なんて考えた訳ではないし、勝手になんか奥の方からポロッと出てきただけ。
 じゃあ、それに乗ってみるか!って感じ。
 実際、「命に仕える」って、どうすればいいのか、よく分からないのです!(笑



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 駅の反対側の近くにビッグサイトと、運河があります。



 セミナーでは

◆初期動力だけで後は電力なしで回り続ける(らしい)モーター。
◆ホバリングしたり、鳥のようにフワッと着陸する(滑走路があまりいらない)、航空力学では考えられない(らしい)ラジコン飛行機。
◆上から注ぎ込むとコップの中で氷になってしまう(らしい)水。
◆生ごみが40~50分で土になってしまう(らしい)システム。

 全て映像でしたが拝見しました。一つひとつ別々の対応をしているのではなく、それぞれの原因の中で同じ対応をしているのだそうです。ラジコン飛行機も同じものを作っても、原理を理解しないと飛ばせないというお話でした。(UFOも単なる機械ではなく、意識と連動?していると聞いたことがあります)



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 学生時代、横浜で暮らしたためか、どんな船着場も好きです。



 アパートに帰ってきて、ノートを読み返してみましたが、会場で聞いたお話しの臨場感が蘇えりません。

 表面意識で考えても無駄だと思いました。ノートを枕の下に入れて。潜在意識と超意識に「寝ている間にノートを読んで、身体で理解できるようにしてくれる」と強くお願いして寝ました。

 夢の中では、セミナーの大切な部分を反芻しているようでした。


 
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 “ゆりかもめ”の車内から撮りました。“ゆりかもめ”に初めて乗りました!



 翌日は施設での仕事でしたが、仕事の質が少し変化したかな。
 無理に言葉にすると、個々の命(自分もふくめ)を、一つの大きな命の一部として、大切に触れる。その命と命の出会いをただ深く、ふわ~~っと感じるのかな・・・


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 きれいです・・・ 文明の美しさです。
 この結果として生じた“物”をいくら組み合わせても無駄だそうです。
 物を生み出した原因である“空”の中に、“命”の中にフリーエネルギーは在るんですって。



PS
 フリーエネルギーを開発すると、石油メジャーなどに繋がる裏の闇組織に命を狙われないか心配です。空気で動く自動車も開発されましたね!日本人やりますね!こちらも大丈夫かな・・・ この星では“みんなの幸せ”のためになる計画は潰されてきました。一部の人の利益になることしか日の目を見ませんでした。

 ニュートリノが光速を越える結果が計測されたそうです。日本でも追試が試みられるようです。時代が大きく変わる時、世界観や意識や法則なども拡張します。新しい世界観のレイヤーに対するアンテナを持っている人が、少しづつ現れているように思います。世界が変わるかどうか?もう少し様子を見る必要がありそうです。



 
 そろそろフリーエネルギーが開発される時期だと思うんです。

 明日(23日)ビッグサイトの近くでセミナーがあるので行ってみます。
 期待できそうか? 期待外れかな?
 技術的なことは、とんと “” なんですがね!(笑




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 起動時にわずかな動力を使用。あとは電力なしで動き続けるモーター。




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 振動羽ばたき原理によるトンボのように飛んで墜落しないラジコン飛行機。
 航空力学では考えられない小さなエンジンだそうです? 「飛んだらラーメンおごってやる」と言われて、ごちそうになったと書いてあります。


 
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 茶畑の向こうに桜山展望台のある丘陵がみえる。




 「狭山茶なんて飲めねー!」
 って狭山茶をつき返したというホームの老人たち。
 
 「いったい何歳まで生きるつもりかしらねえ?」
 「その歳になって飲んだって、放射能の影響より先に死ぬんだから」
 仲良しの話はいつも面白い。^ ^;

 何はともあれ自分だけは守りたい。
 遅かれ早かれ、肉体から離れるんです。
 【しっかりと生きているという実感】を持って生きていないと、【生への執着】は強くなるように思います。

 福島の原発の警戒準備区域内で、止むを得ない事情で子供を出産する決心をした妊婦さんのために、産婦人科を再開した老産婦人科医の話は、何度かTV放映されています。お茶をつき返した老人と比べる問題ではないんですが、ちょっと比べてしまいます。

 このお医者さん、自分の身体に癌が見つかってからも、同じように妊婦さんのために仕事をなさっている。自分にそんなことが出来るかどうか分かりませんが、出来ればこういう老人になれる勇気を与えてもらいたいと願います。

 いま地震が来て、この世を離れることになるかも知れません。悔いのない生き方ってどういうことでしょう?

 あの世に行ってから聞かれることは、ただ一つだそうです。

 「ちゃんと愛してきたか?」

 あの世では、肉体にリンクしている表面意識はなくなっています(肉体があるときには隠れていた、一つ奥の意識が表面意識になる)。もう自分に嘘はつけず、真っ直ぐに自分と向き合うことになります。

 「ちゃんと愛してきたか?」と問うのは神とも言えるし、自分の意識の奥の奥の最奥のSelfとも言えます。

 「お茶屋さんや生産者のために飲もう」と決意したとすれば、「ちゃんと愛してきた!」と胸をはって言えるのです。でもわたし達は自分を大切にするのと同じように、人を大切にすることが中々できません。

 別にそれでいいんです。「あ・・・ちゃんと愛してこなかったな・・・」と自分を理解したら、「よし!今度こそ愛するぞ!!」って決意して、またこの世に戻ってくる訳ですから(本当はあの世が本社で、こちらが出張先です)。カルマとは罰や償いと思われていますが、実はこんな仕組みなんです。まあ償いというよりは、自分の行いに対する対価として魂に与えられるチャンスです♪

 そして、そんな決意したことも全て忘れて、生まれてくる。
 何故?もしも覚えていたら面白くないじゃないですか。問題と答えを知っている試験で100点取っても、面白くないでしょ!一回の人生はたった一回の実力勝負なんです。で!自由にやっていい遊びなんですよ♪




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 今日の台風。風が強そうなのでベランダの子たち中に入れました。
 いやー!すごい暴風でした!!


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 午後3時過ぎのお客様。台風を避けてAM10時半になりました。その後はのんびりと過ごせました。ブログいっぱい出来ました。



 
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 教会などでよく見かけます。


わたしが道であり

    真理であり

    いのちなのです  主 イエス・キリスト



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 ほとんどの方が、

わたし(イエス・キリスト)が道であり

    真理であり

    いのちなのです  

 そうイエスはおっしゃった。と解釈すると思います。
 また教会はそう教えたのだと思います。
 少なくとも僕は、ずーーっとそう思っていました。

 教会が、神と人々・イエスと人々の間を繋ぐ(間に割って入ってしまう)役割の時代の意味づけです。
 一概に、それが言葉ずら間違っているとも言えませんし・・・
 でも神と人・イエスと人の間に壁というか、距離を作ったために、人は罪と許しの間で迷い続けているのですが・・・

 でも今は、わたし達と神・わたし達とイエスは直接コンタクトができるようになりました(日常的な会話ではないですよ)。

 ブッダの「天上天下、唯我独尊」のとおり、【わたし(皆さん一人ひとりのことです)】とは、世界(天上天下)に唯一つ在ることが、尊い存在です。

 イエスもブッダも私は偉いんだから従いなさいと言ったわけではないですし、自分たちは特別の存在ではなく、神の子として全ての人々と同じであり、全ての人々が、【わたし(Myself)】の中にある道を、真理を、【わたし】自身が命であることを辿ることで、神【I am that I am】の謎は明かされていくことを示し伝えたかった。のだと思います。

 教団は不特定多数を導く必要があるので、安易に一つの意味づけや、一つの答えに従うように振る舞いますが、100人いれば100の答えがあっていいわけです。自分【Self】以外に答えを求めても、それが自分から離れている対象なら、神や仏にいくら答えを求めても迷い続けます。答えはいつも自分の中にしかありません。

 わたしが道であり、のわたしとは?

 わたし自身であり、あなた自身であり、イエス自身です。

 今日は堅苦しかったですね!頭痛くなりました?ごめんなさい・・・
 
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 図らずも聖地巡礼になってしまった今回の軽井沢ですが、この時期の軽井沢はきのこの宝庫です♪

 別荘地は綺麗に下草が刈ってあるので風通しが良く、夏は程よい木陰に、冬はカラ松など葉が落ちて地面に日光が届きます。その上、霧が発生する気象条件すべては、きのこ族にとっても聖地なのです。



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 旧軽の別荘地の歩道にもよく見かけます。この時期は“いぐち”と言われる種類が多いです。写真撮らなかったので、図鑑の写真で・・・
 今回の収穫はヌメリいぐち。



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 きのこは放射能を蓄積する食べ物としても知られています。
 原発が爆発したとき、広く関東一円にも放射性物質が飛散しました。一応安全のため超意識で調べてみます。身体を使ってダウジングします。

 「手を動かして教えてくれる?」

 「食べない方がよい」

 「食べても大丈夫」 ここで手が動いて教えてくれます。



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 今回の軽井沢は目的が違ったので、収穫はわずか。なめこを買ってきて増量しました。
 いぐち、なめこ、大根、人参、牛蒡、玉ねぎ、鶏もも、里芋、和風の天然だしで、お醤油で味付けしました。秋の軽井沢を美味しく頂きました♪


 
 「若い頃、よく行ったユニオン・チャーチに行ってみたい」と聞いて、行くことにしました。

 朝4時半に家をでて、6時には軽井沢着!下手すると実家の久里浜までの半分ですね。



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 グーグルの地図検索の場所にはなく! (T_T) 万平ホテルで頂いた地図と彼女の記憶を頼りにたどり着きました。



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 学生のころ皆んなで遊びにいったと言う、宣教師の方の家は見つかりませんでしたが、過去の記憶を頼りに歩く旧軽は楽しかったですよ!



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 チャーチのはしごで、聖パウロ・カトリック教会へ。
 何度か前を通ったことはありますが、近づいたのは初めて!



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 ドアの前まできて感じました。なんて気持ちの良い波動でしょう・・・
 気持ちが静まり、天に吸い上げられるような音楽も聴こえています・・・
 ミサが行われているのかな?と思いました。 
 「グレゴリオ聖歌よ」


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 祈る人のために、鍵はかかっていません。



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 ドアのステンドグラスから中の礼拝堂が見えます。



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 さらに近づきます。誰も居られないようです。ドアを開けます。



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 祭壇の前です。
 祈ります。
 一週間前、Kさんと話してから命に仕えようと決めたのです。

 (祭壇の前にくるまで、自分が祈るなんて思ってもみませんでした)

 写真は超意識に聞いたら、良いということでした。



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 Prayer・祈り

 アッシジの聖フランチェスコの祈りのようです。



 【 聖フランチェスコの祈り 】

主よ、貧困と飢えの内に生き死ぬ世界中の同胞の為に働く私たちを
そのことにふさわしい者にしてください。

私達をあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのある所に愛を
争いのある所に許しを
分裂のある所に一致を
疑いのある所に信頼を
誤りのある所に真理を
絶望のある所に希望を
闇に光を
悲しみのある所に喜びを
もたらすものとしてください

慰められるよりも慰めることを
理解される事よりも理解することを
愛されるよりも愛することを
私が求めますように
私達は与えるから受け
許すから許され
自分を捨てて死に
永遠の命にあずかるのですから


 愛されるよりも愛することを
 私が求めますように

 のところで、グッと来てしまいます。
 僕はクリスチャンではないんですけど・・自然に涙が・・・




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 軽井沢といえば、おぎのやの釜飯です!
 急に世俗に戻ります!この巾が大事!苦笑;
 連休の日曜日とあって、軽井沢は大渋滞!たまたま中軽の辺りを少し知っていたので、渋滞は殆んど被りませんでした。2時半に現地をでて、4時過ぎ夕方には帰ってきました。
 
 

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 帰り道に立ち寄った、ル・ヴァン美術館。
 建物は「文化学院」誕生のときの校舎をほぼ再現してあるそうです。

 「文化学院」に関ってこられたと思われる方々のパーティーが、庭のテラスで行われていました。
 遅いランチを・・・ と思ったのですが、難しそう・・・?
 展示を見たあとは、芝生の木陰にベンチを引きずって座り、風景を堪能しました(写真撮ったり、ボ~~っとしたり)。

 光が輝いていて美しく、風の爽やかな、軽井沢でした。


 
 今日(9/17)は、朝も虹が出ていたそうです。
 台風が近づくと、空は変化に富んだ表情を見せてくれます。
 夕方4時すぎにも、虹が架かりました。


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 5時近くなり西日が輝くと・・・



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 反対側、東の空に三度目の虹が現れました。



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 どんどん輝きが増して!!
 見とれてしまいました・・・

 仕事中でしたが、絶対後悔すると思い、写真を撮りました。
 60年生きてきて、一番綺麗な虹でした・・・

 仕事で疲れたりしたとき、丹田を意識して呼吸をするとホイミの効果があります。
 でも虹はすごいですね! 「綺麗だねえ・・・」って、うっとりと一体になっていたら、一日の疲れが全部無くなっていました♪

 たぶんエネルギー的にも何か起きていたように思います。写真撮れませんでしたが、数十羽のカラスたちが空を乱舞、乱舞、乱舞していましたよ!



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 5時半ころの空。
 この後、本日最後の施療を行います。



 彼女は7、8年前の脳出血のため右半身がまったく動きません。彼女の施療はもう5年以上続いています。

 最初のころ超意識に聞くと、彼女の本意は「治りたくない」でした(切ない訳があるんです)。
 彼女の心が「治りたい」になってから治療法が変わりだしました。
 いま中心に行っているのは、麻痺して動かない右足の反射を利用して動かします。動かないはずの右ひざが腰の辺りまで引き上げられます。彼女には、それが自分で動かしていると思い込んでもらいます。

 前回、反射点の刺激により、足ばかりか右の手首が持ち上がるのを見ました!

 今日、彼女は右手に意識を集中して動かそうとしていました。
 そしたらですね、右手首が震えているんです。これは反射ではない動きです。
 もう一度行うと、右肩から右腕にかけて微かなんですが震えている!!!
 一生懸命に動かそうとする意識が、左脳からのパルスとなって、右腕の神経に流れています・・・

 感動・・・ しました・・・



 もう一つの治療に「歩く」があります。ベッドの上で寝たまま左右の足でとにかく歩く(勿論右足は動きません)。

 彼女はハワイが大好き!ハワイの砂浜で、足の裏に砂を感じながら、ほほにハワイの潮風を感じながら、耳に波の音を聴きながら歩くんです。

 今日は、彼女も見ていた、“あの綺麗な虹がハワイの空に架かっている” を加えました。歩き終わったら、その全ての情景を感じながら(日によっては歩行の後のビールがあったり!笑)、大きく息を吸って、ゆっくり吐きます。
 ・・・ああ・・・ 気持ちいい~~

 レインボー・パワー❤ 

 一日の疲れが吹っ飛ぶくらいの波動ですからね、彼女の意志と脳と動かない身体を繋いでくれたように思いました。ありがと~!ステキな世界♪


 
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 一瞬「かもめ の法則」に見えたんですが、「かもの法則」でした。



『霊性の時代の夜明け』に、質問、疑問、みんなでワイワイ話す場、カフェ『夜明け』があります。

「かもの法則」は、YYさんがUpされたものです。





「かもの法則」

否定の「かも」が発生したら、肯定の「かも」に置き換えればいい。
かもの法則はたったこれだけです。
このあまりにも簡単なことが未来を確実に変えます。

「かもの法則」で検索すれば出てきますし、本「かもの法則」西田文郎著、が出ています。

人は自分で創り出した困難にもがいています。
一番の障害は、余りにも難しく思えて、自ら諦めてしまうことではないでしょうか。
私はそうでした。

出来ないかも、無理かも、と考えたら、先に進む気がなくなりますよね。
その反対に出来るかも、と考え始めると、気持ちが明るくなって、軽くなってやる気が出てきます。

技法の効果の出る出ないは、ここにかかっている気がします。
自分には効果がないかも、と考えながら行ったら、良い結果にならないのは当然だと思います。
やっぱり駄目だったか、ということになってしまいます。

あまりにも簡単で今すぐ出来ます。
もしかしたらこれって効果があるのかも。
自分には無理に思えるけど、無理じゃないかも。
自信がないけど、やってみてもいいのかも。
自分だけは効果がない気がするけど、実は自分にも効果があるのかも。
無理だと思っていたけど、私は幸せになれるのかも。

私はこれは凄いものだと思います。
成功を阻む扉を開ける鍵になります。
肯定的な「かも」は、自ら設定してしまっている限界を壊します。

もしかしたらこれが、自ら作った檻の中でもがいている人が、その檻を壊す助けになるかも、と考えて書きました。








 人生は遊び! と思いつつ気づくと遊びがなくなって、固まっていたり!(笑)
 人生は遊びかも♪ くらいから始めるといいかも♪



 
 国際免許をゲット ← ちょっと怪しいって思ったのだが・・・
 今、 “右脳のツボ” 見てしまった!

 いいな~! いいな~! いいな~! いいな~!

 でも僕も昨日、アマゾンから 「地球の歩き方 バリ島 」 来たのだ♪
 年明けたら行ってこうかな♪



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 発症から何年も経過してしまった脳梗塞の麻痺が治るという、NHKの番組を見逃してしまいました。
 昨日か一昨日の「あさイチ」で偶然見ることができました。

 それも、開発された川平さんの生出演!実演コーナーもあり、どのように伸ばし、どのように曲げ、どこをタッピングするのか、一生懸命メモりました。 促通反復療法といわれ、通称開発者の名前から川平法と呼ばれているようです。

 施設には麻痺の方は大勢おられます。今日の整体のメンバーに、番組を見たという麻痺の方がおられたので、意気投合して早速川平法に挑戦してみました。5、6年前?に発症、左半身麻痺で装具をつけて杖をついて何とか歩ける方です。

 脳の麻痺が起こると、たいてい腕の外転が難しくなります。手のひらの押圧をしたくても、腕は内側に巻き込まれていて、外に捻って手のひらを上に向けることができません。まあいいとこ回して30度位ですね。それが左腕を外に曲げ伸ばししながらタッピングすること15分位、今までどうしても上に向かなかった手のひらが上を向きました!180度あまりも外転したのです!!!!!

 親指と人差し指で丸も作れなかったのですが、綺麗な円ではないけど、丸が出来ました!

 いやー!二人ではしゃいでしまいました♪
 NHKの番組は録画してあるので、コピーしてくださるそうです!
 ありがとうございます。うれしいなあ♪



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 以前撮ったものですが、今日はこんな雲でした。今日も暑かった!



 
 バリ島のサルはネコを飼っている/超癒される不思議なカップル


 漁っていたら・・・

 見つけちゃいました!

 可愛いでしょう♪

 モンキー・フォレスト横の、円のレートはいくらかな?

 森を抜けて、ラカレケのスタッフ達はどうしてるかな?

 想うと〃❤〃が熱くなります!




 優しいガムランの音




 
 (人生をビルに例えると)

 こう生きる! と決めると

 (ビルを造るための) 足場ができる

 体験していくと 足場ができやすい

 ただ黙っていてもいいけど

 人生は進んでいかない

 進んで体験すると(体を動かすと)

 足場ができる




自分の見た、夢の意味を尋ねました。

 《 くり返し、車を失う夢を見る。車を離れて、戻ってみると車がない。最後のころは「車を失いました」と報告すると代わりの新しい車が与えられる。 》

 最近、仕事中夢を見る(仕事中寝ているのか?起きているのに夢を見ているのか?手はちゃんと動いています)。
 宅配の夢・・・ 《 その日は知らないエリアの配達。荷物は少ししかない。地図で配達先を捜すが地図が読めない。エリアをどう走っていいか分からない。昔は山のような荷物を配達していたのに・・・ 途方にくれる。 》  ・・・車、基本的には肉体の事。
 

福田せんせいの(振り子の)答え

 体が変化するのを恐れることはないよ と言っているね

 希望を感じてない

 希望がないのを見ている

 希望を持つことを勧められている




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 お蕎麦屋さんの前の看板。当日のお昼は、暖かいきつね蕎麦とたい焼き。








 数日後、夢の話を聞いていたKさんからメールが来ました。
 僕の夢を超意識(振り子)に聞いてもいい? って

 彼女の答えも同じでした。もう少しキビスイ! 

 『今の自分の肉体の変化(年をとる変化)をシッカリと観じていない』
 『少ない荷物は、自分が出来る事はこれだけ!と決めてしまっている。それも出来ないと諦めた?逃げた?身の周りのセイにしてしまっている』
 『肉体の変化をシッカリ観じて、出来ることを決めつけず、自身が変化することを恐れず行動すれば、希望が広がっている』
 『理想をハッキリさせましょう』




 基本、人生を人のせいにするのは止めましたが、仲良しの子供が大きくなるまではバリは諦めているし・・・ 何とか頑張って生きている両親(82と92歳)から離れて、あまり自由には出来ない・・・とかマジ思っている。

 人の体プラスαのケアは天職だと思っているけど、本当にすることとは少しズレがあるとウスウス感じているかな・・・

  

 Kさん、ありがとね!
 また振り子振ってね!❤



 9/12AM10時 ブログ見てKさんから
 メッセージは『変化を楽しむ』だよ! コメントが♪

 おっ!やるよ!!


 
 Eprouver(エプローブ)さんのブログ、“レインドロップの気持ち”
にUpしてありました。Eprouverさんありがとうございます!

 転載の転載になります。長いですが読んでいただけたら嬉しいです。
 なおみさんの「今度は一緒に生きてくれませんか?一緒に歩んでください。」
 彼女の生き方を変えた体験の一部(?)です・・・




≪陸前高田市の高校3年生なおみさんが語るあの日≫

フジテレビで「わ・す・れ・な・い」という震災の特別番組を見て、今まであまり詳しく書かなかった、11日の私自身のことをちょっと長々とつぶやいてみようと思います。

私はあの日午前授業でした。放課後は国道45号線沿いにあるショッピングセンター(リプル)へ友達(以降S)と行きその後ファミリーマート、ドラックストア(ツルハ)という順に回る予定でした。

友達が校則違反をしたペナルティーである校内清掃をしなければならないとのことで、友達が終わるまで2時間ほど職員室で時間つぶしがてら数学を教わったり、進路の話をしたり、なぜかチェルノブイリ原発事故についての話をしたりしていました。

そういえばあの日の朝、友達たちに私は「サバイバル的なことがしたい!!こう…地震きて家崩れてうちも閉じ込められるんだけど脱出して、瓦礫の上を華麗に越えていって、助けてーとか言われて救出したり…笑」と話をしていて、その話もだんだん現実味を帯びていき「近々津波来ると思うー」ということでまとまりました。

つい先日大きな地震があったため、寝ているとき地震がおきたら何を持ってどこを通ってどんな風に避難するかということまで考えていました。

話し戻って、Sの居残りも終わり、職員室で合流し先生と進路診断等して盛り上がり、そろそろ行こうかーということで校舎を出ました。

校舎前にあるグラウンドの横の道路をいつも通り通って自転車置き場の横の細い道を進んでいこうとしたとき、私のケータイの緊急地震速報のアラームが鳴りました。

驚きながらも、とりあえず地震来るから止まろうということで、身構えました。

するといきなり大きな揺れが私たちの町を襲いました。

揺れはいつものようにすぐにはおさまらず、さらに幅の広い揺れになりました。

近くの民家の瓦がパリンと音を立てながら私たちの2m先ほどにとめどなく落ちてきました。

私たちはお互いに抱き付き合い、とりあえず何も倒れてこない場所に動かなきゃ、と校舎前のグラウンドの方へ向かいました。

しかし、私は家にいる4匹のチワワ(ビーンズ,ロコ,かりん,クリーム)と1匹の猫(黒)の元へ向かわなければ、と一人焦っていました。

「家帰らなきゃ家帰らなきゃ…」と友達がとめるのも聞かずつぶやき続けていました。

頭の中はそのことでいっぱいなのに、脚はがたがたと震え、唇も歯も震えていました。

「行かなきゃ、行かなきゃ!」と思うのに脚は動いてくれません。

家までは、走れば7分ほどでつく距離です。

学校の中や体育館で部活をしていた生徒や、残っていた先生方がグラウンドへ集まってきました。

Sにしがみつきながら、私たちもみんなのところへ行きました。

そのときケータイのワンセグで宮古に津波が押し寄せ、たくさんの車が流されるのを見ました。

何が起こっているのか全く把握できませんでした。

私がいる高田には津波が来ていないのに、宮古では目を覆いたくなる惨劇が起きてる。いったい何なんだという気持ちでいっぱいでした。

何かしなきゃいけない!

そんな気持ちも限りなく渦巻いていました。

こういうときこそ笑わなきゃいけないと思って、深呼吸をし、自分たちの身の安全を確保しよう、信じたくないけど確実に高田にも津波が来る、と薄く頼りない「覚悟」をしました。

校舎裏の急な坂を上り、高い位置にある高校の第二グラウンドへ行き、フェンス越しに海のほうを見ました。

しかし津波らしきものは見えません。ちょっとした白波が見え、あれが津波か?と思ってみていました。

するとどこからか誰かが叫ぶ声が聞こえました。私は海ではなく、手前の45号線辺りを見ました。

一瞬何が見えているのかわからなくなりました。高田松原にある球場が「流れて」いました。正確には球場が流されていたわけではなく球場のところに海が渦々しく流れ込んできていたのです。

私の父は消防団です。いつものように水門が閉まっているか消防車に乗って確認しに行ってるはずです。球場は水門より手前にあります。

それならお父さんは… 津波は防波堤を越えている… お父さんは水門の確認に…

私の頭の中には「父の死」が浮かんでいました。

さっきまでは球場のところだった海は、私が行く予定だったショッピングセンターをのみこみ始めました。渦が見えます。

ついに駐車場にあった車も飲み込まれ、渦に乗って流され、ショッピングセンターも西側になだれ込むように流され始めました。

周りの高校生たちの声も大きくなっています。

「とまって。お願いとまって。止まれとまれとまれ…」私は組んだ手を額に当て必死に止まれと願いました。

そして、どうかお父さんが波にのまれていませんように、お父さんに苦しみが訪れていませんようにと願いました。

しかし、目を開けると海は何の境もなくすべてをのみこんでいっています。

「第二波が来たぞー!!!上に上がれー」大人、おそらく先生が叫ぶ声がしました。

私はフェンスに張り付いたまま動こうとしませんでした。Sが 「上がるよ!!」と言い、私の腕を掴み走りました。

私は涙でぐしゃぐしゃになった顔をぬぐいながら、ローファーで70°はあろうかと言う坂を必死によじ登りました。

上から見た高田は、私が今まで暮らしてきた、見ていた大好きだった高田ではありませんでした。

波があちらこちらで渦を巻き、見渡す限り海が「来て」いました。

仕事に行ったお母さんは、どこを通って来ているのだろうか。普通に町中を通ってきていたら…

お母さんだったら諦めるかもしれない… 死んでほしくなんかない。私だけなんて嫌だ…

不安は不安を呼び、胸のなかはキリがない不安・悲しみ・悔しさ・怒り・そんな感情がひしめき合っていました。

するとSは私に「もう見なくていいから!見ちゃダメだよ。見なくていい。」と背中をさすりながら力強く言いました。

Sの家は気仙町にあり、海の本当にすぐ近くです。弟や妹が4人いて、Sは長女です。

自分の家が流されているのは確実。弟たちの安否は全くわからない。ましてどこにいるのかすらわからない。

お母さんやお父さんとも連絡がつかない 、そんな状況なのに、Sは私を守ろうとしてくれたのです。

「大丈夫!(^^)」私はそう言い、無理矢理笑顔を作りました。どんなにひどい笑顔だったことでしょう。

しかし、それを皮切りに今度は薄くない、しっかりとした、どんな結果であろうと生きるという覚悟を決めました。

私は「みんな大丈夫みんな大丈夫…」と自分に暗示をかけるように、うつむきひたすらに「みんな大丈夫」と呟き続けました。

呟いているうちに、覚悟はしっかりとしたものになりました。暗示がかかったのだと思います。

「みんな大丈夫!みんな大丈夫だから!」 私は最後に大きな声でそう言い、私たちの町をのみこんだ海をしっかりと見据えました。

Sは驚いた顔をしていました。それもそのはず、顔面蒼白で涙だらけの顔をした ついさっきまで震えていた私が、いきなりハリのある声をだしたのですから。

「もう大丈夫なの?」不思議そうな、焦ったようなそんな顔をして、Sは私に尋ねました。

私はそれに笑顔で大丈夫と返し、笑いました。絶対みんな大丈夫だからと言いながら。

その後、第二グラウンドに避難してきた近隣の方々が道端に座り始めました。野球部は屋内練習場を解放し、大きな声で避難者たちをそこへ誘導していました。

ですがお年寄りの方や、津波で頭が混乱している方々には中々その声は届きません。

私も何かしなければと思い、Sはみんなと一緒に居るように言いおき、避難者一人一人にできるだけ笑顔でゆっくりと、はっきり練習場へ入るように伝えていきました。

それと同時に、母が火葬場に避難してきているのではないかと見に行きました。

しかし、何度見回しても母の車はありませんでした。地面の地割れにつまずきながら、何回も何回も火葬場に行きました。

友達が言うには、顔面蒼白と言う言葉の意味を理解できるほど、私の顔は血の気が引いていたそうです 。

言い忘れましたが、上のグラウンドについてすぐ、ケータイの災害用掲示板で、同じdocomoを使っている祖母と父に「高校の上のグラウンドにいる」と送りました。

父からは「了解」と返って来ていましたが 、その後はケータイに電話をかけても繋がりませんでした。水没したらケータイは使えなくなります。また不安が生まれました。

それに追い討ちをかけるように、母からの不在着信に気づきました。この電話はもしかしたら波にのみ込まれ始めた母が車の中からかけてきた最後の電話だったのではないか、そんな考えが浮かび、また心が崩れてきました。

何度見回しても母の姿はみえません。第二グラウンドから見て、東側の小高い場所で消防車の赤灯が光っているのが見えました。

あれにお父さんが乗っているかもしれない!小さな希望が心に生まれました。

さっきと同じように自己暗示をかけ、誰からともなく始めた薪拾いをSと一緒に手伝いました。

すると、家がすぐ近くでわたしが小さい頃から知っている消防団の方(Kさん)が来ました。

わたしは体裁など気にせず近より、「お父さんは?うちの父をしりませんか!?」と 半分叫ぶように聞きました。

Kさんから返ってきた返事は「わからない。父さんとは途中ではぐれてしまった。」私の目からは性懲りもなくまた涙が溢れだしました。

Kさんはそんな私に「きっと大丈夫だ」と力強く、背中を叩いて言ってくれました。

そのあとは、マイナスな事は考えないようにして、強がりでもなんでもいいから笑いながら木を集めました。

まだ3月、まだ高田は夜に凍える寒さになります。暗くなる前に… と思い、木を引っこ抜き、丸太を運び、友達が私に抱いていたイメージを打ち壊しながら木を集めました。

"火事場の馬鹿力"もあったのでしょう。でもそれ以上に、不安を隠し続けているSを笑わせたくて、私のせいで心配を増やしたくなくて体裁も気にせず全力を尽くしました。

信じてくれないかもしれませんが、取ろうとした木はまだ根付いていた木で、運んだ丸太は私の身長の2倍くらいはあったんですよ!(笑)

元々力はありましたし!うち農機具屋なので、小さい頃から重いもの運ばされてて…

脱線しましたが、とにかく笑顔でいなきゃと心をあんなに強く持ったのは生まれて初めてだったと思います。

薪拾いもあらかた終わり、みんなはそのあと水の引かない町をみたり、親が迎えに来て自分の家や親戚の家に帰っていきました。

親が迎えに来る光景は、私の目にはどうしても羨ましく映り 、心に曇りを生んでいきました。

私とSは私の家がある東の方向を眺めていました。この頃には不思議な心の余裕が生まれ、流されたであろうペットたちに心の中で何度も謝り、生きているかもしれないという希望も捨てきれずにいました。

そのとき、私の耳にしっかりと「なおー!!!」と叫ぶ父と母の声が飛び込んできました。声がしたのは屋内練習場の方からです。

私は咄嗟に振り向きました。姿はみえません。でも私の耳には私を呼ぶ聞き慣れた父と母の声がしっかりと聞こえています。

目が飛び出すのではないかというほど泣き腫らした目で、父たちの姿を探しました。

「なおー!!福田なおみはどこだー!!なおー!!」手には杖がわりの木を持った母と、いつもは大きい声を出さない父が、消防のはんてんを着て必死で叫ぶ姿が目に飛び込んできました。

私は声がでない程の喜びを身に染みて感じ、同時に震災後初の安心を感じました。

私は父と母の間に飛び込んできました。2人もそれを受け止め、しっかりと抱き締めてくれました。

その後、父と母がここまでどうやって来たのかを聞かされました。父は水門が閉まっているのを確認してすぐ、波が防波堤を越えるのを見て、消防車で山側へ車を走らせました。

しかしT字路のところで車が渋滞しているのを見て、そこで交通整備をしていたそうです。

そのとき、私の幼馴染みが走って海側へ行こうとするのを見て引き留めたそうです。すると幼馴染みはお婆さんを担いで避難したが親が心配だから店を見に行きたいといったそうです。

父はやむを得ず、足じゃ絶対に逃げ切れないから、最悪のことも考えて車で行けと言ったそうです。

父はそのあとすぐ小高い場所、つまり私が消防車を見つけた場所へ避難し、ギリギリで難を逃れました。幼馴染みは地震発生から1週間ちょっとした頃、高田の市街地の方で発見されました。

母は車で、会社から同じ職場の人を乗せて山側を通って高田へ向かったそうです。町の方へ降りようとすると、消防団に止められ一旦引き返し、旧国道45号線を通っていたそうです。

すると海の方に白い煙のようなものが見え、目を凝らしやっと巨大津波であることを悟りました。

その後、父と同じところへ避難していた祖母と合流し、午前授業ですでに家にいるはずの私がいないことに気づきました。

祖母に聞くと 高校の山にいるらしい、と聞かされたそうです。母はそれを聞き安心し、私のいる第二グラウンドに向かおうとしました。

しかし第二グラウンドまで車で行く術がないため、歩いて山を越えなければいけませんでした。道に迷いながら林を掻き分けて歩いていると、後ろから父の声が、どこかもわからないような山のなかで 父と合流したそうです。

その後、父から軍手を片方貸してもらい 、2人で山のなかを歩いて私の元へたどり着いたとのことでした。

その夜は、土の上に敷いたブルーシートの上でシーツ1枚を私、S、母の3人で使い、体を寄せあいながら寒さをしのいでいました。

するとどこからか私を呼ぶ声が聞こえ、そちらを向くと 私の従兄弟のお母さんが布団に入るようにと促してくれました。

私たちは4人で1人用の布団に入り、無理矢理体を折り曲げ寝返りは一切うてない状態でしたが、体温で暖まった布団で一夜を過ごしました。

しかし、外で焚き火にあたりながら寒さをしのいで一夜を過ごした人、石油ストーブを8人くらいで囲みシーツを肩にかけ一夜をすごした人、8人で掛け布団1枚を使い一夜をすごした人など、私たち以上に過酷な夜を過ごした人たちがいたのも事実です。

ましてあの日は外で暖もなく一夜を越した人もいました。

翌日の朝、どこから来たのかはわかりませんが、乾ぱんとミニエクレアが届きました。配分はどちらかを1つです。

私は乾パンを1つ食べました。氷砂糖のみの人もいました。

朝になると、町の様子がはっきり見え、津波の壮絶さが目の当たりになりました。

その日の9時頃、おむすびが1人ずつ配られました。塩も何も味のついていないおむすびでしたが、あんなに美味しいと感じたのは初めてで、おむすびを食べて涙が出そうになったのも初めてでした。

私たちは2~3日は何も食べれないことを予想していたので、とても驚いたのを覚えています。

その日、おむすびはもう一度配られましたが、私は食料がなくなったときを気にしてそれを食べずにしまっておきました 。

父は、その日から消防で生存者と遺体の捜索に行っていました。一日中いない父が不安でしょうがありませんでした。津波の情報が入るたび 父の身に何かあったらと思い、ただ祈るばかりでした。

避難者は一般の方はいつの間にか減り、その日の晩は同級生の男の子が拾ってきたスーパー等で売っているタッパー入りの鰯を、割り箸に刺して焚き火で焼いて高校生数人で食べました。

コメリから劇物が流れだし側溝やマンホールの中から流れ出した汚水と一緒に流れた鰯でしたが、あのときはそんなことは一切考えていませんでした。考えたとしても笑い飛ばしたでしょう。

私は余った鰯を夜遅く帰ってくるだろう父のために1尾焼いて大事に持っていました。その日の夕飯だったカレーライスは、ルーを人数分にするためギリギリまで水でかさましし、ご飯も節約のためお粥風でした。

ちょうどそのとき、父も母もおらず、2人の分をもらえるかどうかわからなかったので、私の分の一皿をビニール袋に皿ごと入れ2人が帰ってきてから私は食べたことにし、2人に鰯と一緒に渡しました。

それまで何も口にしていなかった父が食べてくれたことが、嬉しくてたまらなかったのを覚えています。

初めの一週間は あの津波を経験した人たちにとってとても壮絶なものだったと思います。流された町を歩けば場所を問わず遺体があり、目にしない方が珍しい状態でした。

私の 11日あたりの体験談はここまでにしようと思います。

消防団のみなさん、自衛隊のみなさん、警察のみなさん、寄付を寄せてくださったみなさん、被災地を心配してくれたみなさん、募金箱に大切なお金をいれてくれたみなさん。お元気にしていますか?

私はあなたたちのおかげで今の命があります。毎日に笑顔があります。助けてくれて本当にありがとうございます。

今度は一緒に生きてくれませんか?一緒に歩んでください。

あとたくさん笑ってください。私が頂いたみなさんの気持ちは、私にとても大切なものをくれました。

絶望という言葉が相応しいような町に、心に、希望をくれました。人の優しさを知り、当たり前のすごさを知り、人の繋がりを知ることができたのは、みなさんがいたからです。

私の立場からいうのは変かもしれませんが、生まれてきてくれてありがとうございます。愛をくれてありがとうございます。

体調は大丈夫ですか?友達や家族と喧嘩していませんか?悲しんでいませんか?苦しんでいませんか?

今度は私がみなさんに感謝を届けます。何があっても私はあなたの味方をやめません。みなさんの存在が私を支えてくれたように、私が支えられる存在になりたいんです。

辛いときでも笑顔でいてください。泣いてないてその倍笑ってください。そしたら私も一緒に笑います。

みなさんが大好きです。ありがとう。長々とごめんなさい!!

明日もみなさんが素敵な一日を送れることを願っています。








 祈り・Prayer  クリスタル・スピリット/Yatri
 いっぱいの愛が皆さんと共にありますように・・・❤

 
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 さっき運転免許証の更新に行ってきました。
 例の公園は狭山警察署の近く。中を歩くの久しぶり・・・♪



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 台風も近づいているためか、近くの学校の学生さんがランニングしている他、人は少なかったです。



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 柳の枝が風に揺れます。



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 見上げた空模様。
 セミ時雨の大音響に、虫たちも負けじと大合唱!
 もうじきセミの声は聞こえなくなり、秋の虫たちにバトンが渡されます。


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 ポプラのこずえが傾しいでいます!
 芝を刈った跡が見えますか?
 刈られた後のムッとする夏草の匂いと、熱帯低気圧(台風だって!)特有のムッとくる湿った強い風!結構好きです!夏生まれですからね♪


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 傘は持っていましたが、ポツポツきたので車に戻ります。
 アパートへの帰路、散歩の間待っていてくれた雨が本降りになりました。
 ありがとね♪