魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
 今、ここ、と言う一応の目的地にたどり着いたことで、車の必要がなくなり、車を失う夢は見なくなるかも、と思っていましたが・・・

 今週の頭で、再び車を失うという夢を見ました。
 また、失ったのは宅急車!続けて2度。それまでは宅急車ではなかったのですが・・・


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 ・・・人通りの多い、狭い商店街をゆっくりと進みます。両側のお店は道に商品を並べています。右側に気になる荷物があり、ぶつけないように進みます。通りを抜けたころ、その右側のお店の人が「ぶつけた!」と言っています。僕は「ぶつけなかったのに・・・」とちょっと、ムッとしますが、しかたなく確認に行きます。

 そして、戻ってみると車がなくなっている、と言ういつものパターン。

 車がなくなった報告をすると、新しい車が与えられます。
 この新しい車にはリフトが付いていて、ビルの10階まで行くことができます。・・・


 こんな夢↑でした。僕の夢の解釈が間違っていたのかな・・・?
 ただし失った車の代わりに、新しい車が与えられたのは初めて!
 いや、2度目・・・
 潜在意識下に勝手に(僕はコントロールが出来ず運転席から降りた)走り去ってしまい、事故をおこした車があった!

 事故をおこした車は見つからず、大きい車と小さい車の2台になっていた。
 同じ数字のナンバープレートを付けて。
 僕は小さい車に乗ることにして、大きい車をそこにいた外人さんにあげることにした。この外(表面意識の外側〓潜在意識+超意識)人さんが後にクレドールと名乗ることになる。


 今週見た夢の新しい車は、古い車の代わりなのだから、運転者は僕だろう。
 クレドールと出逢ったときのように、この夢を善兆だということに決めつけよう!
 新しい車は、陸地を遠くまで行く車ではなさそうだ?上下に僕をリフトする働きがある。
 ビルの10階まで行くことができるらしい。そんな能力が付加されている。このことを大切にしよう!



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どの辺の高さまで作業出来るんだろう☆
写真お借りしました。
 
 息子の家から戻ってくるとき、バイパス沿いに「Book-Off」があります。
 この前、気になったのに通り過ぎてしまいました。その後、また通り過ぎてしまいました。

 息子の家を出てすぐなのと、車線を変更していないと入れない。なんか気になっている内に、入り口前を通過してしまうのです。

 3度目の正直、潜在意識も入ろうとしていたようで、難なく「Book-Off」の駐車場に入れました。

 店内に入って本棚を流し見していると・・・ あ!これだ!この本が呼んでいたのだ!という本がこちらに飛び込んできました。それは「第8のチャクラ」キャロライン・メイス著でした。


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 叡智を通じて学ぶか、災いを通じて学ぶかは、自分の選択しだいだ。たとえば、許すという行為にはいかに力があるかを学ぶことが不可欠だとしよう。 許す心を学ぶには、許す相手が必要だから、いろいろプレッシャーをかけた両親やあなたを解雇した上司を許さなくてはならないかもしれない。このような人たちは、人生のなかで、あなた自身が考えて釈明しなくてはならない役割を演じているのだ。彼らとのつき合いを通じて、人生の目的について学ぶようになっているのである。

 許すかどうかは、明確に意識して選択しなければならない。許すということは、反感をもち続けるよりはるかに難問だが、この難しいほうの道こそ、心の平穏と霊性の道の叡智をもたらしてくれる。

 「自分が正しい」と憤り、正義のためだと反感をもつことは気持ちいいかもしれないが、長い目で見ると大きな犠牲を払うことになる。身体、精神、そして感情面での健康に害をもたらすのだ。親や上司など、自分が敵と考える人たちを許さない選択をすると、まわりの人々や世界から孤立してしまう。不健全な「気」を自分に追い込むことになり、それは皮肉にも、病気その他の人生の状況を通じて、ほかの人間に依存するという結果を導く。

 許しの心のような霊性の道の課題を拒むのは痛みを伴う学びの方法だが、どう転んでも学ぶことはたしかなのだ。学ぶことを拒絶すれば、同じ状況に何度も繰り返し出会うことだろう。
(P62?63)
 
 人を許せないでいるとき、
 許せないでいる本人が一番辛い。
 許せないでいる本人には、毒素が発生します。
 毒素が発生することで、精神的、感情的に嫌な気分を味わうだけでなく、長く続くと肉体も蝕んでしまいます。

 こんな嫌な気分を味わうのは、あの許せない奴のせいだ!
 と、原因を自分以外の人のせいにすると、自分では解決できない世界を生きることになります。

 でも、許せるとき、心の中の楽は言葉では言い表せません。本当に清々しいものです。

 許すときの、第一条件はなんでしょう・・・
 それは、許せない人がいることです。

 僕たちがこの世界に誕生するのは、愛し合い、許しあうことを、肉体を通して学び体験することなのだと思います。愛する人、許せる人しかいないとしたら、困難な学びの体験は一つも無いことになります。

 物語だって、悪役がいなければ、ちっとも面白くないじゃないですか♪




sedap malam
















セダップ・マラーム(sedap malam) バリのホテルのフロントにありました。
心を奪われる香り・・・一般には「チュベローズ」、和名は「月下香」
「sedap」 は、「おいしい」 や 「気持ちいい」
「malam」 は、「夜」
 
 久しぶりに自由ヶ丘、Nせんせいのセミナーに参加してきました。
 「ちょっと早めに来てくれたら、お体を調整してあげますよ」と、お電話をいただき、喜んで伺いました。

 セミナーは久しぶりの僕に合わせてくださったのでしょう。最近、参加している皆さんが行っている瞑想を、まとめるという意味もかねて、初めからを復習する内容でした。


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 心の活動を静める。

 心の活動・想い(過去の体験からくる記憶、感情)は、過去か未来に作用する。

 心の活動が際限なく続いているのが、ほぼ全ての人の状態。

 世界の全てに名前を付けるのではなく、そのまま世界を見る練習をする。

 心の反応を見続けている限り、本質にたどり着けない。

 心の活動を静めていく。

 

 想いはどこから生まれてきたのか・・・

 たった一つから

 その一つは・・・

 「わたし」・・・ 

 「わたし」に注目し続ける。

 「わたし」という想いを注目し続ける。

 「わたし」は誰なのか・・・ 「わたし」は何なのか・・・

 そして、その「わたし」を生み出した真我にダイブしていく・・・


 このような、内側に向かう瞑想の方法が「自問法」




 もう一つ、我々は意識を外側に向けるとき、目に見える個々の物事に名前を付けてしまう。

 個々の物事に反応せずに世界を見るときのみ、本質を見ている。

 このように凝視し、心の反応を静めていく。

 「わたし」に戻る。

 
 このように、外側を見つめる「凝視法」






4つの意識状態

 1 目覚めた意識状態

 2 夢の意識状態

 3 深い眠りの意識状態

 これ以外に、心が活動しているときには現れない意識状態がある。それが、

 4 真我の意識状態 

 この第4の意識状態は我々が使っている意識の真逆の意識の使い方なので、慣れないと難しい。


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所沢ミューズ、流れる水と光のオブジェ





 今回セミナーでは、内に向かう瞑想「自問法」と、外に向かう「凝視法」をセットに行いました。

 具体的には、リラックスした楽な姿勢で、出来るだけ背骨を真っすぐにして座ります。

A 目をつむって(一般には目をつむると、心の活動に流されやすいので、慣れ
  ないうちは目を開けて行ったほうが良いそうです) 自分の背後にある海、
  その深みへと後ろ向きにダイブします。一切の心の波を静め、真我と一つに
  なる。

B 静かに目を開けて、Aの意識状態を保ったまま、世界を見ます。目に映る全
  てに名前を付けないで(意味を与えないで)、見続けます。

 このA→B→A→B→A→B→A→B・・・を続けて第4の意識状態を自らに根づかせていく。
 意識の波打ち際で、海の中と砂浜の間を行ったり来たりするんですね。海中のサンゴや海岸に打ち上げられている貝がらを見つけても、自分との関係付けをしない。それら一つ一つに意味を与えないで、その背後にある世界に意識を向け続ける。


 いつもの瞑想会とは、方法論が違うのですが、二つの瞑想法の対比の中で、心の働きを静めていくのが新鮮で楽しいひと時でした。ありがとうございました♪
 
8/6、所沢ミューズで、スアール・アグンのジェゴグが!

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 バリで初めてジェゴグと出会ったときは、こんな音楽があるのか!!!と仰天&感動したのを覚えています。

 "ジェゴグ(JEGOG)"(You Tube 最初に話しているのがスウェントラ氏。ヘッドホンでフルボリュームにすると低音部が多少再生されます)はバリ島西部ヌガラに伝わる、巨大竹製打楽器のことで、またその楽器での演奏もジェゴグと言います。最も大きな竹は、長さ3m、直径20cm、肉厚3cmにもなるそうです。通常1チーム14台で構成されたアンサンブルの演奏になります。(下の写真参照)

 一番大きな楽器は、演奏者がその楽器に乗って叩きます。その重低音は耳に聴こえない領域にまで及びます。そして叩いたときの音だけでなく、その余韻の音同士が絡み合って空間に“うねり”(これが不思議で耳から聴こえるのではなく、体の中や脳の中から響いてくる感じなのです)を創り出します。この“うねり”と大小の楽器のハーモニーとリズムで、その場に巨大なチャクラが出現しているのではないかと思ってしまいます。宇宙にまで持ち上げられてしまうエネルギー・ゲートが開いているようです。

 バリ・ヒンドゥーの宇宙観を表すようですが、ジェゴグには4つの音階しかありません。東西南北の4つの方位を示す4音階(4神)。この4つの音(神)が協力することで、見えない中央・5番目のシバァ神が顕れる。

 ジェゴグは生演奏では強く感じる “重低音”と “うねり”が、CDにするとあまり表現されません。高音部はよく再生されるんですが、“重低音”と特に“うねり”は録音するのが難しいようです。“うねり”がチャクラを創り出し宇宙へのゲートを開くのだとしたら・・・目に見えない中央・5番目のシバァ神を出現させるのがジェゴグだとしたら、それは当たり前なのかも知れません。




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ミューズのアークホールに並んだ、ジェゴグの編成



 ジェゴグは、オランダの植民地時代、竹が武器になることから演奏が禁止され途絶えました。
 インドネシアが独立してから、スウェントラ(I Ketut Suwentra) ←スアール・アグン楽団の団長さん、の手で復興、よみがえりました。

 バリでは普通、野外や寺院のステージのような半野外で演奏されます。野外だと音が空に抜けるように聴こえます。僕だけかも知れませんが、その抜ける音と一緒に、宇宙(そら)へ自分の意識が拡大していくように感じます。室内だと迫力はあるんですが、その宇宙(そら)へ拡大していく感じがなくなり、こもった感じになってしまいます。

  スウェントラ氏は、バリニーズらしく明るく、よくジョークを飛ばします。彼はすでに還暦を迎えた白髪(その上、ロンゲ)のかっこいいおじいちゃん。その彼が、演奏の合間に、

 「・・・今日は広島に原爆が落とされた日・・・ 核兵器が無くなり、世界が平和になりますように・・・」

 とバリからのメッセージを日本語で読み上げたのが、印象的でした。
 
 1998年ワールドカップ・フランス大会では2万人の観衆を熱狂させたり(サッカーの試合に出たのではありません)、異なるジャンルの演奏家とコラボしたり、坂本龍一、東儀秀樹、坂東玉三郎などとの親交も深いそうです。
 
  (スアール・アグンの案内参照)



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○ 

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 ミューズはデザインの綺麗な建物なんですが、明かりが燈ると一段とステキです!

 演奏の余韻を感じながら、少し外をお散歩!

 爽やかという程ではないけど・・・昼間に比べたらとても涼しい風・・・夏らしい
夜風、それを全身に受けながら、ウブドの夜を思い出していました・・・



 JEGOGの細部の見えるのをもう一つ
 
 今日(8/4)は10時半?のおひとり様のみ♪足(車)のない方で入間市駅までお迎えに・・・

 帰られたのは12時半くらい。

 洗濯物、干して、
 その後、ゆっくりお昼ごはん食べて・・・ぼ??っとしてたら、
 たまらなく、気持ちが良くなってきて・・・
 もう、この星の引力に耐えているのが嫌になって、
 テーブルにばったりと・・・
 しばらく、そうしてたら、どこかが痛くなって、
 もっと平になりたくなって、ベッドにフラフラと・・・


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目覚めた後・・・6時半くらい、




 クーラーは消しましたが、首を振っている扇風機の風の気持ちいいこと♪
 近くに小さな滝が流れていて、その音に気持ち良さはクライマックス・・・♪




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このサイドランプの中を水が循環しています。




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小さな水の流れ・・・




 気がついたら、薄暗くなっていました。至福の時間でした・・・☆

 
 
 
 今日の瞑想会は、Kさんと、僕の仲よしと、僕の3人で行ってきました。

 ノートを忘れてメモを取らなかったので、印象に残ったことをUpしてみます。

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昨日その後、蓮の花で遊んでみました・・・



 随分前なんですが、福田せんせいの話のなかに、
 「みなさんは、祝福をしていませんね。自分を、人々を、世界を祝福するといいんですよ」
 と言うのがありました。

ちょっと私事になりますが、お付き合いください。

 その後、朝、神さまをする時、祝福をすることにしました。世界(見えない世界も含めて)を、自分(インナー・チャイルドも含めて)を祝福するんですが、子どもたち、その子供達(孫)と配偶者、元配偶者、兄弟、両親、親戚の人たち、友人、親しい知り合い、お客様、ご近所さん、それらのご家族、働いている施設の方々、畑を持っている方には、その畑を、そして世界中(過去、現在、未来)の人たち、自然を・・・
 主な人は、実際にその人のイメージを創りだして祝福をお届けします。
 した後はとても気持ちがいいです♪

 「○○さん・・・ I Love You♪ ありがとう!あなたに祝福がい?っぱいありますように・・・」

 関係の良好な方には気持ちよくお届けできます。中には関係の悪い方もおられます。
 そんな方にも気持ちよく祝福できるようになると、それまで挨拶しても、無視されたり、返事があっても嫌々なのが伝わってきたりした人が、声を掛けてくれるようになったり、助けてくれるようになったりします。不思議です・・・

 もちろん、そんな効果を願ってやるのだったら、それは祝福とは呼べないかもしれません。

 せんせいも、嫌な感じの人はいて、その嫌な感じをしっかりと感じることは大切なんですって。でも、その嫌な感じが祝福なんだそうです。そのようにしてその人から祝福をもらっている、と・・・だから、ありがたいなあ・・・って受けとる。
 そのように嫌な関係になるのが分かっていて、それでもその役目を引き受けて、こちらに誕生してくれる魂には感謝!だから、ありがたい人だということです。

 そう言われると頭では理解できますが、体が、心がそういう反応を起こすのには時間がかかるんだよなあ・・・って思います。




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 「みなさん、闇が好きなんですよ。両手の間に闇を入れて、指の間からその

闇を、『怖い!怖い!』って覗くのが」

 「『福田せんせい、ほら闇ですよ、ほら闇ですよ』って、みなさん言われます」

 「でも、手を開けてみてください。闇なんて、どこにもありません」






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蓮は花びらが落ちて、ハチスになりました。
 


 ピラミッドの上や、伊勢で瞑想すると言う話になりました。「みなさん、するとすぐに考えてしまう」何も考えないで只やればいいのだと。

 ピラミッドの上は実に気持ちがよかった・・・僕の場合、クレドールが黄金の頂上、ピラミッドの頂点という意味もあるんです☆ 内在する光が強く輝きました。
クレドールと一緒って感じがとてもしました♪

 せんせいは石工だったそうで、大ピラミッドのことは良く分かるそうです。トートともお友だちなんでしょうか?

 瞑想会も終わり、そろそろ帰ろうという頃。会場の絨毯なんですが、メーカーの名前か?商品名か?絨毯のタグに「クレドール」と書いてあるのを仲よしが見つけたんです。何年も通っていても、ちっとも気づきませんでした!そんなことを楽しそうに話していましたら、せんせいが興味を持たれたようで、クレドールとの出逢いや、その名前がテレパシーで告げられたこと、名前の意味など簡単に説明しますと、面白がられたようです。

 お礼を言ってエレベーターを待っていると、今出た会場入り口のドアが開いて、福田せんせいが現れ・・・!何だろう?と思っていると、

 「この絨毯で座っていたんで、“ピラミッドの上で瞑想する”って思いついたんだね?」ってわざわざ!

 嬉しかったです♪またお世話になります♪



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 お昼はカレー屋さんで、無限堂ではお香を買って帰りました。
 
 午後はバニラを、今はMOONを焚いています・・・
 いい香りです♪