魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
 僕の整体の先生。岩手在住のTさん♪この前、久しぶりに電話でお話しました。
 いろんな情報、アドバイス、チャネルありがとうございました!


 話のなか、

僕 ・ 「最近、光をよく呼吸しているんだけど」

Tさん・「それだけだとバランスが悪くなるから地球にグラウンディング・・・ それも畑の土がいいね」

僕 ・ 「山の土は?」

Tさん・「山の腐葉土は精神的な疲れの時。枯葉の中で寝転がるのもよいよ」



 その翌日、Mさんから

「今、2月22日12時22分でした」というメール! 

【2時間後!】 “グラウンディングは、2月22日2時22分” と直感が!



 良さそうな畑を探しに、その時間が近づいてくると家を出ました。
 畑はあるのですが?中々【ここ】という場所に出会いません。



 10分前くらいになって、【あっ!ここだよ】という場所がありました♪


















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 そこは今は、休耕田。でも土饅頭がモコモコと盛り上がって?
 どうやら、モグラさんのお仕事のよう♪
 モグラさんがわざわざ地下から地表へ、土をプレゼントしてしてくれていました!
 モグラ塚と言うそうです。


 「モグラさんありがとう!」
 って、その場所にしゃがみ込み、盛り上がった土に両手を当てました・・・
 グラウンディングのことは知ってはいましたが、やるのは初めて!



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 太陽の光を浴びながら、しばらく手を当てていると、 お・・!お・っ!地球と手の間で脈動が♪
 人の体に手を当てたときの脈動とも違う・・・ ずっと・・・ 強い・・・
 ああ・・・ 気持いい?




 暖かな春の日・・・ 地面からは草の若芽が伸び、水仙が開き、カルガモ?のご夫婦でしょうか?日向ぼっこ。春の日の散歩はうららかでした。



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○ 
 
 人のことをとやかく言うのって、自分には何も変える力がないことを認めているってことですよね。

 自分が変わらなければ、人は変わらない。何も変わらない。





 自分の気持ちを、誰かに聞いて欲しいのかな?

 ま・・・ それはありですね!
 
 子供たちが行っていた学校の合唱祭で、あるクラスが歌った歌の題名が

 「ああ明治神宮ぐるぐる椅子」! だったかな?たしか???

 





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歌いはじめたら、「アメージング・グレイス」 でした。^ ^

絵とともに You Tube より
 
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 仏子の河原にあるものを燃しにいきました。
 あるものとは、7×10cmぐらいの紙と厚紙でできたお位牌です。


 紙は束になっています。僕が毎日毎日、健康のために行っているチェックリスト。20項目くらいのチェックポイントがある。例えば、ユーカリ・エッセンスの吸引とか、首の運動とか、歯茎のマッサージとか感謝の祈りとか。これが8ヶ月くらいたまって厚さが8cmぐらい。1月で1cmになるんですね。

 初めのうちは毎日1枚づつこの紙がたまっていくのが楽しみだった。少しづつ厚みが増していく。
 「あー!この厚みのぶんだけ健康になっているんだ♪」って、感じました。

 しかし、段々毎日紙が降り積もっていくと、過去という重みになっていく。毎日毎日の今日という記録の堆積物に見えてくる。

 Mさんにも言われた「燃せばいいんじゃない」って。節分過ぎたら燃やそうと思った。


 もう一つ、紙のお位牌。
 これはもう、何年も前に自分で作ったもの。僕の先祖により酷い苦しみを受けた魂を供養するために作りました。

 この位牌を先祖の位牌とともに供養するのはとても大変で(被害者と加害者ですから)すごく勉強に(対極しない無極というものを意識しだしました)なりました。

 みなさん普通に生活していたら、訳もなく相手の勝手で突然殺されたり、また自分の家族が惨たらしい殺され方をしたら、殺した相手を憎みますよね。今でも世界のあちこちで行われていることです。

 その憎しみは表面意識だけではなく、深く潜在意識にも記憶されます。

 肉体がなくなりますと表面意識はなくなり、潜在意識が表面意識として働きだします。肉体があるあいだは想いが物質化するには時間がかかりますが、肉体がなくなった今、潜在意識の憎しみは“即”実体化されます。それは物ではないのですが、想いの力によるイリュージョンなのですが、心に想ったそのままをリアリティーとして体験することになるのです。

 そして、燃えさかる憎しみと一体化すると怨霊となってしまうのです。
 こうした魂に憑かれたことを知ると、ほとんどの人は自分から払おうと考えますが、その魂と苦しみを分かち合わないかぎり、怨霊となってしまった魂の苦しみは救われません。また「怨霊、怨霊」と言っていますと、怨霊は怨霊以外のものになれないのです。それよりも「あなたは光なのですよ」と知らせてあげるのが大切です。

 ある時から、この魂には「もう天に戻っていいんだけど、僕と一緒にいて学べるなら、ここに居てもいいよ」と伝えてありました。

 何日か前、僕はグレース(天恵)の力をほんの少し知りました。目覚めをもたらす「誓いの破棄」という宣言があり、これをいつものように座り、先祖の霊と元苦しみだった霊を前に「誓いの破棄」の宣言をしました。




目覚めをもたらす「誓いの破棄」

 私はいま、いかなるものであろうとも、かつて私が無意識の幻影を体験するために交わしたすべての誓いを撤回します。私の遺伝的一族で光を宿すものとして、私はこれらの誓いを自分自身のために、そしてすべての先祖のために破棄します。

 私はこれらの誓いが無価値で無効であることを宣言します。今回の人生、そしてあらゆる時間と空間におけるすべての転生、すべての平行現実と平行宇宙、代替現実、代替宇宙、全惑星系と全根源体系、すべての次元にわたり、および「無」において、それらは無価値で無効です。

 私はいっさいのクリスタル、装置、思考形態、感情、マトリックス、ヴェール、細胞の記憶、現実の映像、遺伝的制約、そして死を放棄するように要請します。

 「グレース」の原理と 「勝利」の名によって!
 「勝利」の名によって、「勝利」の名によって!

 スピリットの意志により、私が目覚めますように。
 スピリットの意志により、私たちは目覚めます!

 はじめに「われはわれたるもの」。

 ブレッシート、アヘィァ・アッシャー・アヘィァ!



 「ブレッシート、アヘィァ・アッシャー・アヘィァ」 モーゼがシナイ山において神にその名を尋ねたときの答えと言われる。 「われはわれたるもの」という意味のヘブライ語。英語では「I AM THAT I AM」



 
 すると、僕といっしょにいた元苦しみだった霊を、地上につないでいたエネルギーがプツッっと切れて上昇するエネルギーに引かれるように、金色のらせんの光を描きながらキラキラと天に昇って行くのが見えました。もう僕の作った位牌には何もいない感じでした。

 仏子の河原で燃したのは、この空になった位牌と、過去が積み重なったチェックリストだったのです。

 2月15日、ちょっと風のある暖かい日差しの午後2時すぎ、石を組んでその中で燃していますと、天から流れてくるような歌声が聞こえてきました。それは20?30mくらい離れたところにいた若い男女のアカペラだったのです。

 5名で環になって、燃しているあいだ中歌声は聞こえていました。ほんとうに綺麗な声でした。明るく、透きとおった、健やかで、静かな、流れるような、そよ風のようなハーモニイーでした。天に昇っていった存在が喜んでいるのを知らせてくれているようでした♪




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重なって見えませんが5名なんです♪



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天上では・・・

さくら・ももこさん 絵

 
 最近、おかしい・・・
 以前から、おかしいんだけど、最近はやはり可笑しい・・・

 ぼ??っとしている時がますますある・・・
 午前中、患者さん4人あったとする。3人しか思い出せない・・・
 エレベーターがどうも動いてないようだ・・・
 あっ。行き先のボタン押してない!
 
 子供のときからのボケがいよいよ進行してきたのか?

 機械がよく誤作動をおこす。
 普通に日常をおくっている日常に、夢がオーバーラップしてくる・・・
 時間的には短いけど(数秒)、明らかに夢をみている☆
 目を開けているのに、通常見えない光が見える・・・
 フェアリーダストのようにキラキラときれい!
 この世界の裏側というか、深部に意識をあわせるとますます光が強くなる。

 ボケの進行だとちと(日常に)困る。

 皆さんはないですか?景色を見たり、本を読んだりしているとき、ふっと誰かのこと想ったりすること。
 そんなとき意識は、時間や空間をこえて誰かのところへ飛んでいきますよね。
 でも次の瞬間、自分のいる今、ここに帰ってきて、今、空想や妄想していたんだと思いそれは終わります。

 その空想や妄想の間に、本は10行くらい読んだりしているのですが、ちゃんと読んでいるんですよ。内容はまったく理解していません。その時、《本を読んでいること、風景を見ていること》、そのことが夢をみているように感じるんです。

 そういう感覚が強くなっています。今まではあくまでも“今ここにいるという唯ひとつの現実”、そこから意識を飛ばしている。だった・・・

 それが最近は、どっちにも同時に自分が存在しているような感じがするんです。“階層の違う、同時現実感”そんな感じ!

 フォトショップのような画像ソフトやる人にはお馴染みの“レイヤー”の世界です。

 “平行現実”ともいうようです。

 意識の領域が拡がりだして、意識が“平行現実”を知りはじめているのか?
 もしそうなら、今までそのたった一枚のレイヤーで生きていたのが、次々に新しいレイヤーを知り、それを統合してより大きい自分に至るのか?

 興味しんしん♪ Or ただのボケ♪ Or かなりやばい!




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誤作動!あ?∞ なんでこうなるの・・・
 
 
 
 昨日、仕事が終わって何気なくTVに目が行った。
 後で、番組表を調べてみると、

 ETV50「教育テレビの逆襲?よみがえる巨匠のコトバ?」再放送でした。

 




水木 しげる

 「肉体をもったまま解放されないと。肉体がなくなって解放されたって・・・」



ダライ・ラマ

 「みなさんは、ヒーラーとしての力が私にあると思っていますが、私にはそんな力は全然ない!

 もしそんな力があったら、皮膚の痒いところを自分で治してる。(と言って笑いながら後頭部をさする。思わずこちらも笑ってしまう)

 いま、キリストや釈迦がいたとしても、目の前の現実に自分でどう向き合うのか・・・」





 いろんなこと覚えてられない僕に、この二人の言葉が強く残りました。実際に語られたことはちょっと違うかもしれないけど、こんな感じの言葉でした。




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世界不思議発見・TV画面より
シュピースが手に持っているものは???何だろう?子猿?
 
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小冊子に同封されていました♪




 このブログで扱っている『クマともりとひと』の小冊子を、一人でも多くの人に読んでほしくて、少しまとめて発注しました。発注したら送金しないのにすぐに送られてきました!この小冊子が実費で提供されていることを知りました。そして添えられていたコメント!嬉しかったです♪


 同封されていたコメント(写真)

 この度は『クマともりとひと』の小冊子をお買い上げいただき、誠にありがとうございます。
 私たちは日本熊森協会の考え方に深く賛同した企業の有志です。現在の自然破壊や動物虐待などの悲しい現状を根本から変え、本気で地球を救おうと考えています。この小冊子が100万部以上拡がれば、その現実に大きく近づくはずです。みんなで協力して、一人でも多くの人に拡げていただければ、嬉しく想います。

                      株式会社ありがとうドットコム
                        熊森ボランティアチーム
                                 川嶋





 勇気をもらいました!ありがとう!「ありがとうドットコム」♪
 
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世界不思議発見・TV画面より






 2月1日、瞑想会。福田先生からいただいたプリントです。



                   さあ・・・うん

                   福田高則

 ○かって生きた人、今生きている人、これから生きる人

 私たちは、誰でもみんな、このままで完全な神 (愛) の一部として、お互いに、神 (愛) を体験している揺らぐことのない神 (愛) です。

 すべては、この一つ、「神の愛」 が展開し、何もかもみんなで、この 「神の愛」 を体験しています。

 少し前まで、自分の会で、お互いにご挨拶する時、皆さんに、「神に向かってご挨拶しましょう」、「無限に向かってご挨拶しましょう」 と表現していました。
 これは、神が神に向かってご挨拶する体験です。無限が無限に向かってご挨拶する体験です。愛が愛に向かってご挨拶する体験です。
 ご挨拶している自分も、相手の方も、このままで完全な愛です。挨拶は、お互いに、愛そのものを表現しているという体験。みんな自分、皆いっしょという愛の体験です。
 皆さんが日常の生活の中で、これをやっていただきますと、「自分が無限」 という 「すべてで一つ」 の存在で、「この今、永遠を生きている愛である」 と意識されます。
 これは、自分や他の人たちのそのままをシッカリと受け止め、善悪、正邪の判定をしない 「無条件の愛の働き」 の体験です。

 私たちが善悪、正邪の判定をしない体験が 「許し」 です。
 人を非難、批判、否定しない体験です。

 このところ、「かって生きた人、今生きている人、これから生きる人に向かってご挨拶しましょう」 とお勧めしています。
 日頃のご挨拶を通して、「自分たちの永遠の生命、無限の愛の働き、神」 を身近に意識して生活していただきたいからです。
 こうして今生きている私たちは皆、間違いなく、かって、地上に、肉体を持って生きていましたし、これからも、この地上で、肉体を持って生き、お互いに 「自分という愛の体験をしよう」 とします。私たち一人ひとりの生涯は、ホントにスバラシイ愛の働きです。

 私たちは、この時、この地上で、自分自身という 「愛」 にバッチリ出会いました。うれしいですね。「やあ」。これは 「すべてが、すべてに向かってする日々のご挨拶」 です。
 念のため、「すべての働き」 が 「愛」 です。そこで、自分の心と、肉体とその感覚のすべてが 「愛」 という 「すべての働き」 に向かってご挨拶します。「やあ」。
難しく考えないでください。「愛」 が 「どんな感じかな・・・・」 と、全身で観じて 「やあ」 です。いいですか。お互いを通して 「愛」 が交流するのがご挨拶です。



○スー・アハー

 「すべては一つ、愛の働き」
 私は、それを忘れないように、ヒマさえあれば、一呼吸ごとに 「すべては一つ、愛の働き」 と、呼吸します。ときには 「すべては一つ、愛でいっぱい、ハーッ」 と呼吸します。

 すべてに遍万し、「一つ」 として働いている 「愛」 を感じ、それをスーッ (スベテハヒトツ) と吸って、頭蓋腔に充たします。
 頭蓋腔に充満した 「愛」 を全身を通して、アハー (アイノ・ハタラキ)、活き活きと出て生かせます。アハーは、あの 「アハー体験」 のワカッタというアハーの感じです。
 ゆっくりと呼吸する時は、コトバになりますが、呼吸が速くなりますと、「スー・アハー」 です。もっと速くなりますと、「スー・ハー、スー・ハー」 です。
 この調子で、「すべては一つ、愛がいっぱい、ハーッ」 と呼吸してもいいのです。

 もちろん、時に応じて、「すべては一つ、感謝でいっぱい」、「すべては一つ、許しでいっぱい」、「すべては一つ、希望でいっぱい」、「すべては一つ、光でいっぱい」 などと呼吸します。この 「すべては一つの呼吸」 は、どの言葉でも 「スー・アハー」 です。
 毎日、毎日、オモシロガッテやります。こうして、日々に 「愛」 を働かせます。

 ところで、すべては一つです。すべては愛の働きです。そこで、自分が愛でいっぱいになったら、すべては愛でいっぱいになったのです。自分が感謝でいっぱいになったら、すべては感謝でいっぱいになったのです。自分が許しでいっぱいになったら、すべては許しでいっぱいになったのです。宇宙中が許しでいっぱいになったのです。
 例えば、宇宙に遍万している許しを感じ、「スー・許しでいっぱい、アハー・自分を通して、許しがいっぱいほとばしり出る。ワアースゴイ」 と観じる呼吸をします。すると、宇宙に遍万している許しが活性化して働きます。そして、過去・現在・未来の人々や自分が指定した人々も許していっぱいになります。「すべては一つ」 なのです。

私はこの 「すべては一つ、愛でいっぱい。さあ・・・うん」 で治療しています。

 そこで、実際に、西早稲田にいながら、世界中に住んでいる人を治療しています。
 かたわらにいる人を 「愛でいっぱい」だけで治療できたら、地球の裏側の人も 「愛でいっぱい」 だけで治療できるのはあたりまえの話です。(エドガー・ケイシーに学ぶ日々の健康法たま出版参照)。「すべては一つ」 なのです。「愛」 は無条件に働いてくれます。

 こうして、私は呼吸をする時も、ご挨拶する時も、自分が 「愛でいっぱい」 になって、相手の人や、この今や、この場所を無条件に 「あなたが『愛』」、「この今がが『愛』」、「この場所が『愛』」 と観じます。そいう選択をし、そういう体験をしています。
 「愛」 を自覚し、五官で感じ、よく観察し、「さあ・・・うん」 と活性化しています。 
 
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世界不思議発見・TV画面より
 



 生命そのものに仕えることだ。

 あなたが生命に仕えれば、生命はあなたに仕えてくれる。それはあなたと生命がひとつだからだよ。
 生命に仕えるということは、あなたに仕えるということだからだ。だからこそ神の仕事はあなたがたに仕えることなのだ。


 ちょっとちょっと、わかってもらってないんじゃないでしょうか。それじゃ話が逆です。わたしたちの仕事が神に仕えることなんです。

 わかってないのは、あなたのほうだ。あなたがたの仕事は神に仕えることではない。なぜなら、神はあなたに仕えてもらう必要などないのだから。あなたがたは「昨日の神」にはその必要があると考えていた。だが、「明日の神」は、そうではない。

 わたしたちは明日の神に仕える必要はないんですか?

 そんな必要はない。それどころか、「明日の神」はあなたがたに仕えるだろう。それが神の働きだから。事実、それが「昨日の神」と「明日の神」の重要な違いの八番めなのだよ。

 (8)「明日の神」は、あなたがたに仕えることを求めない。「明日の神」はすべての生命のしもべである。


 驚いたな、ちょっと待ってください。神は大いなる師、〈マスター〉であって、「しもべ」じゃないですよ。しもべはわたしたちで、わたしたちが大いなる師の足もとにひれ伏すんです。

 言っておこう。〈真のマスター〉とは、最も多くのしもべを創り出す者ではなく、最も多くの〈マスター〉を創り出す者だ。

 じつは、あなたがたはすべて〈マスター〉である、と教えてあげるのは、わたしにとって楽しいことだ。わたしが何者かをあなたがたに教えてもらう必要はない。そんなことは知っているからね。忘れているのはあなたがたのほうなのだよ。

 だから、わたしは自分をあなたがたに仕えさせ、あなたがたに思い出させてあげる。あなたがたがわたしに仕えるとき、あなたがたは自分が〈マスター〉であることを示すことになる。


 でも、さっき、わたしたちがあなたに仕える必要はない、とおっしゃったではありませんか。

 言ったよ。あなたがたはわたしに仕える必要はない。祝福される日が訪れてあなたがたが、「明日の神」を受け入れれば、あなたがたはもう神に仕えよと命じられることはない。だが、あなたがたが自由意志で神に仕えるとしたら、そのとき、あなたがたは自分には何も必要がなく、すべてをもっていて、自分がもっているすべてを神に捧げることは大きな喜びであると示すことになる―それが〈マスター〉というものだ。

 さて、さっきの「神」という言葉と「生命」という言葉を入れ替えてごらん。そうしたら、地上で平和と調和と幸福を見いだす(じつは創り出す)秘密の処方箋が明らかになるだろう。

 考え、語り、行うすべてにおいて、まず生命に仕えなさい。「この考えは生命を育むのか、損なうのか?この言葉は生命を豊かにするのか、乏しくするのか?この行動は生命を支えるのか、傷つけるのか?」と自分に問いかけてごらん。

 そう問いかけて答えることが自動的なプロセスの一部になり、いちいち考えなくても自然にそうするようになるのは、あなたがたがいま地上で知っているかたちの生命を維持しようという気になったときだ。あなたがたがそういう意識をもてば、きっと維持できるだろう。

 しかし、あなたがた一人ひとりが自分には何かが欠けていると思っていたら、まず生命に仕えることはできない。生命に仕える前に、いつも自分のニーズに仕え、自分のニーズを満たそうとするだろう。いっぽう、自分は生命であるとわかっていれば、すぐに生命に仕えることは「自分」に仕えることだと気づくだろう。これがすべての〈マスター〉への道の第一歩だ。
・・・・・






 自然に、小さな自分の限られた視野にあるよりももっと高い目標に向かって、もっとスケールの大きな利益を求め、もっと大きなゲームに参加してプレイすることになる。

 そうすると「人びとにとってのベスト」が「自分にとってのベスト」だと思うようになるんですね。なぜなら、その人びとは自分だということがわかるから。自分は人びとの一部であって、人びとと一体だから。

 わかってきたようだね。
 仕え方には、いろいろある。自分にとってのベストを目指す行動か、人びとにとってのベストを目指す行動か、あなたの魂はちゃんと知っている。この二つの考え方が衝突するとき、たとえあなたにはそれが自分のベストだと思えなくても、人びとにとってのベストを目指す行動をすればどう感じるか、あなたの魂は知っているのだよ。

 それはどんな感じかといえば、大きいという感じだ。あなたはふいに、自分がもっと大きくなった、ひろやかになったと感じる。内側がひろがった感じだ。それを「無私」と呼ぶ人もいる。

 そのとき、あなたは「小さな自分」という感覚を捨て、それよりも大きくひろやかな「自分」という感覚をいだく。あなたは「大きな自分」になる。それはほんの一瞬かもしれないし、もう少し長いかもしれないし、あるいは一生続くかもしれない。だが、その感覚を経験すれば、決して忘れることはない。


 それは、わたしの生涯最大の課題です。
 わたしはいつも、自分のことを真っ先に考えてしまう。いつも、小さな自分にまず仕えてしまうみたいなんです。そして、他人にもまず自分に仕えてほしいと思ってしまう。自分の役に立つと思うときにだけ、誰かのために何かしようという気になります。何らかの意味で自分に役立つのでなければ、ひとに尽くそうとはしない。そのせいで、大切な人間関係をたくさん壊してきました。

 で、どんな感じがする?

 ひどいです。ひどい気分ですよ。

 それでは、結局、自分のためになっていない、そうではないかな?結局は自分のために役立っていないだろう?

 そうなんです。自分の幸せが目的だとしても、幸せになっていません。どうすれば、こんな生き方をやめられますか?どうすれば、こんな行動を改められますか?
 
 あなたはそのことに気づいている。それが第一歩だよ。






 ・・・・・
 あなたが自分に欠乏していると思うものを―愛、共感、ふれあい、お金、何でも―与えれば、なんだ、自分はそれをもっていたんだという経験をするだろう。そうなると、すべてが変わる。あなたの考え方は180度変化し、自分にはないと思っていたものがあるのがわかる。

 あなたにはある。あるのだよ。必要なのは、それを増やすことだけだ。もっていないものを増やすことはできない。だが、もうもっているとわかったのだから、その経験をひろげるのは簡単だ。

 だが、覚えておきなさい。その経験は量とは何の関係もない。1ドルもっていて25セント与えるのも、100ドルもっていて25ドル与えるのも、同じことだ。経験を量ではかることはできない。

 与えるか、与えないか、どちらかだけだ。

 愛するか、愛さないか。「与える」ことは量ではかれはしない。愛もはかれはしない。あるひとを「たくさん」愛して、ほかのひとを「少し」愛することはできない。愛するか、愛さないか、どちらかだ。その愛をどう表現するか、それは別の話だよ。愛はいろいろな方法で表現できるだろうが、それが愛であれば無条件のはずだ。量的な条件など、あるはずがない。




     「明日の神」 ニール・ドナルド・ウォルシュ サンマーク出版