魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
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 少し前になりますが、秋のお散歩マーケットにMさんファミリーと行ってきました。
 春と秋、年二回のお散歩マーケットは、飯能と青梅の県境、飯能市上直竹上分、日本のチベットのような山村で行われます。
 お散歩マーケットチラシ




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 急峻な山道にそった各家が、土地で採れた農作物や、手作りのうどんや、ジャムや、パンや、カレーなどをを販売します。それぞれのお宅の軒先でお話ししたり、食べたり、買ったりしながらお散歩するわけです。




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 小雨だった雨も上がりはじめ、幻想的な風景が・・・




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 途中で食べ歩いていると、あかね屋さんの美味しいカレーが入らなくなります。へったお腹でひたすら尾根道を歩きます。




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 黒指から細田へ、カレーを目指して!




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 あかね屋さんに到着!あかね屋さん、お店なのはこの日だけ。いつもは芸術家夫婦の暮す普通のお宅です(普通?とは云えないかも♪)




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 のんびり午後に行ったりするとカレーは売り切れてしまいます。ケーキセットも一緒にお願いしました。ケーキは5?6種類の中から選べます。




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 食事制限中の僕もこの日は特別に解除♪ああ??おいしかった!




 You Tube にもありました。あかね屋さん出てますねぇ。富士で拾ってこちらで可愛がられている二匹の猫の一匹、ポコも出てきます。
 
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両陛下が来られるんやから、
全国に訴えるチャンスや











 
 「先生、時間さえあれば署名は無限に集まります」

 と、生徒たちは言いました。しかし、私は、

 「署名なんかもういい。それより早く県庁に持っていこう」

 と、提案しました。

 生徒たちが集めた署名をもって、各会の会長である16人の生徒たちと一緒に、私も県庁に行きました。

 「明らかに、スギ・ヒノキの人工林が行き過ぎているので、止めて下さい」

 と、林務課の係官にお願いすると、

 「これからも、兵庫県はスギ・ヒノキをどんどん植えていくんです」

 と、反対に怒られてしまいました。生徒たちは一時間半必死で

 「クマを絶滅させないで」

 と訴えましたが、何ひとつ聞き入れてくれませんでした。

 同行をお願いした自然保護の大家と呼ばれる大学教授は、

 「クマは絶滅の恐れがない」

 と、この前、私に話したことと正反対のことを突然言い出すし、取材に来てくれた新聞記者は、

 「記事になりません。降りさせてもらいます」

 と言って帰ってしまいました。


 当時兵庫県では、狩猟と有害駆除で、年間約30頭のクマが殺されていました。60頭残っていて、一年間に30頭ずつ殺していったら、絶滅が時間の問題であることは、小学生でもわかることではないですか。

 今でも覚えています。三宮駅のプラットホームで、私と生徒たちは、茫然としてつっ立ていました。私は何だか大人として、生徒たちにとても申し訳ない気持ちになって、

 「悪かったね」

 と謝りました。動物を絶滅から救おう、森を守ろうと、ここまで頑張って涙ぐましい努力を続け、毎日毎日動き回った中学生は、日本中探しても、いや世界中探してもどこにもいないだろうと、私は確信していました。自然保護史上に残るような大変な動きを、彼らはやったのです。でも、何もきいてもらえませんでした。

 私は生徒達がかわいそうになって、

 「来なければよかったね」

 と、なぐさめました。すると、生徒がこう言いました。

 「先生、ぼくら今日、県庁に行ってよかったですよ。大人の世界って汚いんですね。だんだんわかってきました。これから猛勉強して、ぼくらの調べたこと、きっとあの人たちに聞かせてみせます」

 彼らはホームの上で、一人ずつ順番に誓い始めました。そして、その誓いどおりに、この後、進んでいくことになるのです。

 

 
             小冊子 「クマと もりと ひと 」より      つづく
 
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 気になっていることが意識の表層に浮かんでくることがある。連絡をとり京都へ向かう。
 肉体と一緒の彼女と会う最後のときとなりました。

 親しい友をうしないました・・・

 京都に住むNさんK子さん夫妻に僕たちはバリを教えてもらいました。ツアーを組まない彼らだったからこそ、ツアーでは味わえないバリの魅力をたっぷりと教えてもらえました。




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 京都はおりしも紅葉を見ようと大勢の観光客が歩いています。その流れと反対方向にある病院へと観光客の間をすり抜けて向かいます。紅葉で有名な東福寺の横を通ります。






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 お住まいからの景色。

 お見舞いを終えて帰りの新幹線で東京に向かっているとき、彼女は二つの世界の境界を渡っていました。










 20日、再び京都に向かいます。

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 京都に近づくと山の上のほうには前日に降った雪が・・・告別式当日は寒い京都でした。

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京都に向かう車窓から。



 Nさんはお見舞いのときも奥さんのK子さんのベッドの脇で「行くんじゃない!」って鼻水を垂らして泣いていました。告別式のときも、お棺がお花で一杯になってくると「顔が見えなくなってしまう」と。お棺の蓋が閉まるときになると開けさせて「おまえを一人で行かせない」って、一緒にお棺に入るのではないかと思うほどの悲しみでした。

 恋は目と目が合ったときにはもう始まっているんだと、出会いのときの話と、その後にK子さんに始めて歌った唄だったという“ダニー・ボーイ”。 お別れのときにもこの歌が式場に流れます。本人の喉から・・・声をふるわせ、泣きながら・・・

  “ダニー・ボーイ” は、もう帰っては来ないだろう愛しいわが子を、戦争に送り出す母親の唄だと初めて知りました。もう帰っては来ない奥さんへの想いとオーバーラップしていきます。往年のヒット曲を数多く歌った彼の歌はやはり上手く、感情的にも現実的にも逃げ道のない彼の歌には泣けました・・・

 「今まで、K子さんが死んでしまうのは頭では処理できていた。それなりに乗りこえていけると思っていたけど、自分の一番大切なものが無くなってしまう。一番大切なものを失うということに、うろたえている」「自分の横にいつもいた(隣のベッドのこと)K子さんがもういない。自分が一人だけだ」と何度も話していました。

 息子さんは長野で、お嬢さんは東京です。式がすんで少しでヘルパーさん以外、本当に一人です。人一倍甘えん坊で、細かい、その上、体の自由が利かない。心配です。すこし京都が近くなりそうです。




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 濃密な命のエネルギー!それが自然に流れているバリ。
 一部の人たちはバリに強く惹きつけられます。
 「僕は魂を持った人々の住む国に行ってみたい・・・」と言うヴァルター・シュピースもそういう人でした。



 ■バリを訪れた人々を惹きつけるバリ絵画、 ケチャ・ダンス、バロンとランダの闘争を中心にした呪術劇チャロナラン…。これらはロシア生まれのドイツ人がバリ人と共につくったものだった。「バリ島芸術をつくった男―ヴァルター・シュピースの魔術的人生 」(平凡社新書)より。

 ■現代バリ芸術の礎を築いた異色のドイツ人画家、W・シュピースは、同時に、写真家、音楽家、舞踏家、ナチュラリストとしても活躍する類い希な才能の持ち主だった。画家ココシュカや映画監督ムルナウ、喜劇王チャップリンなどからも愛されたシュピース…。日本軍の爆撃によって四十六年の生涯を終えた彼が、神々の島で見た「夢の景色」とは。「バリ、夢の景色 ヴァルター・シュピース伝」より。

 ■「天はちょうどこのバリのようだと思えばいいんだよ。すっかり同じなんだ。同じ村があり、お寺(プラ)があり、王宮(プリ)がある。ただ天上では何でもみんなさかさまなんだ、川にうつる影みたいに。そうだ、バリは天の反映(かげ)なんだよ。わかるだろう?」「バリ島物語」より。



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W・シュピース 1923年 ヨーロッパ時代の作品



 ウブドのチャンプアン・ホテルにはシュピースの最初のアトリエがあり、今でも【ウォルター・シュピース・ハウス】として利用されています。チャンプアン・ホテルはまだ行ったことがありませんが、次にはぜひ入ってみたいと思っています。
 
 彼の描いた絵は、「チャロナラン」という題の作品がバリにはたった一枚現存するのみ。アルマ(アグン・ライ美術館)にあります。こんなにもオリジナルが無いのは、シュピースは描いた絵をみんな人にあげてしまっていたようで、今ではそんなことはないでしょうが、当時は絵はかまどでマキを燃すときの炊きつけに使うものだったようです!今でもバリの美術館では絵が当たり前のようにむき出しで展示されていたりします。



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W・シュピース 1938年 




 でもアルマでは嬉しくなるような出来事もありました!アルマの敷地内はステキなお庭になっています。植物好きの僕たちはアルマの庭で“植物の種”を拾い集めていたら、アルマで働いているおじさんが手伝ってくれて、何ていう名前の木の種か親切に教えてくれたのです♪この美術館は入場するとカフェでドリンクが一杯サービスされます。種を一緒に拾ってくれた職員のかたがにこやかにドリンクを運んで来てくれました。

 日本に帰ってネットでアグン・ライ美術館(アルマ)を調べてびっくり!その職員のおじさんはアグン・ライさん本人だったのです!日本の常識ではありえないことが普通におこります。だからこの島が好きです。バリに行った皆さんみんながそうではありませんが、僕はこの島で温かい出来事をたくさん引き寄せます。


 ちょっと脱線しました。

 ヴィキイ バウムの「バリ島物語」があります。今のデンパサールには王国があり、バドゥンと呼ばれていました。そんな時代のお話です。バリを深く知りたい人にはお勧めの本です。そして読んだあとにはもっとバリを愛せずにはいられなくなると思います。

 ヴィキイ バウム、彼女は手つかずのバリを体験したくて老医師ファビウス氏への紹介状をもって島にわたり、ファビウス氏はバリ人の真の生活を彼女に見せてくれます。

 アメリカに帰ったヴィキイ バウムはホームシックにかかり、どうしてもまたバリに行きたくなる。ファビウス医師の元を訪れるのだが、彼はもうすでに亡くなっており、彼女のために残された日本製のブリキの箱には、日記や、風習と儀式に関するノート、メモ、オランダ人によるバリ征服を主題とした長編小説が入っており、これをまとめて出版したのが「バリ島物語」なのです。そして、ファビウス医師こそヴァルター・シュピースその人なのです。ファビウス医師が亡くなったあと「バリ島物語」の元になる資料を受け取ったことは作り話ですが、シュピースとバウムは知り合いであり、このとき、長年にわたりバリに滞在したものでなければ到底知ることのないバリの人びとの文化や社会をシュピースはバウム伝えていたわけです。

 この物語はププタン(終末)と呼ばれる、死の行列を中心に書かれています。ププタンは実際にあった歴史的事実で、オランダのバリに対する征服のなかで、自らのあり方を守るため、数多くのバリ人が自殺をもって抗議した死の行進のことです。このことによりオランダはバリの人たちの誇りの高さを大事にしないと、上手に植民地化できないことを知らされます。そして誇り高く温和なバリの人たちを支配するには、よほど思慮深くしないとという配慮が今日あるような楽園としてのバリ島を生み出した。と本書ではされています。それもあるのでしょうが、“全ては神にささげるものだ”とするこの島独特の生きかた抜きには考えられないと僕は思っています。


 シュピースは1925年に初めてバリを訪れると、その魅力に感化され、2年後に移住を決意。1928年にウブドのチャンプアン渓谷にアトリエを作る。その後、1938年には同性愛者の取締りが強まるなかでオランダ政府に逮捕、投獄される。翌年釈放されるが、1940年ドイツがオランダを占領すると、シュピースは敵性外国人として蘭印政府に捕えられる。1942年ほかの収容者たちとスマトラ島パンダンからセイロンへ移送される途中、日本軍機の攻撃を受け、インド洋上に没した。

 1928?1938年。シュピースがバリを必要とした。バリがシュピースを必要とした。彼とバリがダンスを踊った約10年(逮捕以降も彼は絵を描いています)。シュピースは画家としてはもとより、現代バリ芸術の父としても知られる。1931年のパリ(バリでなくパリ)植民地博覧会では、バリのガムラン音楽と舞踊団、美術・工芸品を出展するのに尽力するなど、西洋へのバリ紹介でも大きな役割を果す。チャロナラン劇や ケチャ を造りだしたのも彼。



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MURIATIさんの作品。
王宮の装飾画として発展したバリ絵画史上最も古い画法でカルサン・スタイルと呼ばれる。
シュピースによってバリ絵画ルネッサンスが起きる前の画風です。





 シュピースのアトリエに一人の少年がやってきて、全く違った形式・技法の絵を見て驚き、彼のアトリエに来るようになる。彼はその少年に絵を教え、これがバリ絵画ルネッサンスの始まりです。シュピースは遠近法を教え、自分達の生活を描くように教えます。これが村人たちに広がりウブドは芸術と芸能の村になります。


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WIRANATAさんの作品(一部)






 自分の住む世界に深くかかわり、世界とともに自分を変えていく。一人の人間のあり方により変わる世界を見るとき、どんな人にも宿るすばらしい力に感動を覚えずにはいられません!

 シュピースは村人たちから愛され、投獄されたその日の夕刻にはシュピースの釈放を願い、牢獄の前では悲しみのガムランが演奏されたそうです。



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W・シュピース 1939年
このブログのトップの絵も、実はヴァルター・シュピースの絵の一部なのですよ。
 
 今年、蓮はつぼみが上がってこなかった。世界的な気象に関係があるのか?ないのか?ここ数年、蓮の花つきがとても悪い。

 デュランタもそれに倣ったのか、何年も、何年も、何年も、何年も、咲かなかった。


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 のが、鉢を買ってきて初めて花が付いた!



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嬉しさもひとしお!
 
By mabut












Photo By mabut at Google Earth
バリ西部ムンジャガン島の風景





 みなさん、美のあるところには愛があるのを知っていますか?
 美は愛のエネルギーが変化したひとつの現れです。

 美しいなあー!と感じたとき、あなたはそのエネルギーと共にあります。その波動と共振しています。美しいなあー!と感じたものを通して、あなたには愛のエネルギーが流れ込んでいます。

 この流れを助けて、もっと強めてあげることができます。
 たとえば、息をのむような美しい風景に出会ったとき、そのすべてを文字通り、息として飲み込むのです。すると、そのエネルギーが流れ込んできます。

 その美しさを呼吸します。吸って、吐く、吸って、吐く、吸って、吐く・・・・・ 肺に入ってくる空気と一緒に美のエネルギーが入ってくるとイメージしてもいいし、
全身で美のもつ愛のエネルギーを呼吸してもいいです。あなたのお好きなように。やりやすいように。

 これをやっていますと、あなた自身の波動が上昇していきます。あなたの波動が上昇しますと、こんどは、あなたを通して美や愛の波動が周りの世界に流れ出していくようになります。素敵だと想いませんか?

 同じように、悪意に意識をあわせると悪意のエネルギーと共振し、あなたの波動は下がってしまいます。

 どこと自分をつなぐかは自由です。

 以前、僕はこのどこに意識をフォーカスするかということを、周りの状況に流されて受身になって行っていました。周りの状況が僕の意識のフォーカスを決定するのです。今でも気がつくとそうなっていることは良くあります。しかし、自らの意志で世界のどこに意識の焦点を合わせるかを決めることができます。すると、世界は自分の意志によって平和にもなり、恐れの場にもなるのが、少しづつ分かるようになりました。

 美しさ、暖かさ、光、気持ちよさ、やさしさ、美味しさを味わえることなど、愛をいろいろな処に感じることができます。

 その、ひとつひとつを宇宙は与えてくれます。
 その、ひとつひとつに感動し、
 その、ひとつひとつを与えてくれる、宇宙に感謝することが好きです。
 
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○ 


 温室の上のかご。もう5、6年は開けていません。
 このかごはウブドのパサールで買ったものです。バリのお土産を入れておいたのですが、もう何が入っているのか覚えていません。

 開けてみると・・・ わーーっ!懐かしいです?♪

 上手な手作業です!小さなかご。直径5?6cm位でしょうか。壊れやすいお土産をこの小さなかごに入れてくれるんです。ずいぶん手間ひまが掛るでしょうに無料なんですよ。 


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 この小さなかごを開けてみると・・・


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 中には、お腹を上にしたカエルが。


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 玉子に描かれているんです。


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 バリの人たちの器用さ、イメージの豊かさ、デザイン性、工夫と創造力にはいつも感動してしまいます。


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 笛を吹くカエル。


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 ハイビスカスとカエル。空飛ぶカエルもいます。それはエッグではなく彫刻です。カエルの背中には、天使のように羽が生えてるんです!


 バリの芸術は、音楽、舞踊、絵画、どれを取っても素晴らしく(趣味に合わない方もいらしゃると思いますが・・・)、その三つとバリ・ヒンドウが融合して独自の世界を作っています(音楽、舞踊、絵画、はそれぞれ深く関わっており、商品としても村人を助けてはいますが、基本的にはどれもが神にささげられるものです)。特にウブドにおいてその芸術性を強く感じることができますが、元々のバリの土着のものかというと違います。ドイツ人の画家ヴァルター・シュピースがバリの文化、芸術に与えた多大な影響を抜きには語れません。

 彼の描いたオリジナルはバリにはたった一枚現存するのみ。アルマ(アグン・ライ美術館)にあります。「チャロナラン」という題の作品。

 今のバリ絵画だけでなく、“ケチャ・ダンス”や“呪術劇チャロナラン”は元からバリにあったものではなく、シュピースとバリの人たちの協力のもと出来上がったということは以外に知られてはいません。

 
 
 先週、久しぶりに絵を描いたら、どうやらはまってしまったようです♪
 ブームになるか!

 浮かんだイメージを、ラフ・スッケチしてみる。

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 昨日、カンバスに写し、今日、墨を入れてみました。

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 やはり、大好きなバリ絵画のスタイルで!
 も?っ!時間がたつのを忘れてしまう♪
 
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 どんなに、上手くいかなくても
 どんなに、人から嫌われていても
 愛がいっぱいでいることが、自由。

 自分は、すばらしい光
 自分が、すばらしい存在であると思っていないとだめ。

 人生はそういうものです。
 それだけ。







 昼間の日光も、夜、目をつむって見る光も、同じ光。
 意識は光
 光は意識
 光は波動
 光は愛

 私が、愛がいっぱいになると
 宇宙の果てまで、愛がいっぱいになる。
 一瞬にして。
 
 だから、何の心配もない。
 だから、悪意を抱くと
 宇宙の果てからまでも、いっぱい悪意がやってくる。
 みなさん、いっぱい集めている。
 本来、宇宙には愛がいっぱいしかないのに
 愛ではないという体験を
 みなさんはやっている。








 私がいるだけで、みんなが元気になる。
 私がいるだけで、世界中が幸せになる。
 そのように言葉にして終わらせない。
 そのように感じるまで
 とにかくやる。
 やったもん勝ち
 みなさんやってくれない。
 やりよー!




                        11月2日、瞑想会・メモ