魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
 「メラトニン」というホルモン知ってますか?夜のホルモンというと怪しいですが、睡眠ホルモン、若返りのホルモンです。

 メラトニンは脳の松果体というところで造られています。メラトニンは脈拍、体温、血圧を低下させ睡眠と覚醒のリズムを調整し、自然な眠りを誘う作用があります。また抗酸化物質ですので体内の酸化を押さえる、つまり闘いの傷を修復して、元の元気な身体に戻してくれます。

 松果体は網膜から入る光の量をもとにメラトニンの分泌量を決定します。目に入る光の量が減ると、それを感知した松果体がメラトニンを分泌します。夕方暗くなってくると造られはじめるのですね。

 メラトニンには、太陽の光が朝に目に入ってから14?15時間たたないと分泌されないという性質があります。夕方以降暗くなってくると分泌量が増えてきます。夜になるとさらに増えて、午前2時頃に分泌量がピークに達します。草木も眠る丑三つ時(うしみつどき--午前2?2時半ころ)とは言いえて妙ですね。

 明るい光にあたるとせっかく出来たメラトニンが消えてしまうので、夕方以降の部屋をすこし暗くすると眠りに入りやすくなります。

 さてこのメラトニン。光の加圧だけではなく意識の加圧でも生産されるようです。気功をする人の中には知っている方もおられますが。瞑想や気功のときに
松果体を意識で加圧すると若返るとされています。松果体は光と磁場に反応するのです。意識は磁場を変化させる力がありそうです。意識は光と同じ性質も持っているのかもしれませんね。


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 小脳の前に松かさのように下がっているとあります。僕の絵はいい加減なのですが、もう少し下の方でしょうか。眉間の奥、頭の中央部です。

 そこを意識で加圧するわけです。よく第三の目を鍛えるといって前方から意識する方がいらっしゃいますが止めてください。福田先生に教わったんですが、アジナーからは前方に光が出ているそうです。ほら、ウルトラマンのスペシウム光線!あれですよ♪前方から意識するとこのエネルギーとぶつかりあい良くないそうです。気功でいう偏差がでて、戻せる人がいないと大変なことになる場合もありますから。

 安全に行うには絵の点線のように会陰から頭頂に向かって体の中央の柱に意識を通します。また僕の絵では点線が右のほうに曲がっていますが、真っすぐ天に向けてください。この流れの中、頭の中央に松果体はあります。


 
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○ 





 本当は未来には無いものはない、全ての実現可能なことが揃っています。

 誰でも、その中の一つを選んで自分の人生を作っています。

 例えば、あなたがパスポート持ってたらの話だけど、27日、11:45成田を発てば半日後にはニューヨークでスローフードを食べることも可能です。決めるか決めないかだけ。

 その限りない可能性のほぼ全てを否定して自分の決めた限定した現実に生きているのがほとんどの地球人。

 宇宙人たち (本当は宇宙人ではなく高度に進化した生命なんだけど)、彼らは地球人たちを「限定のマスター」と呼んでいるようです。

 実際、多重人格者の場合Aが知らないうちにBが決意したことが起きてしまう。Aの人格に戻ってみると知らない場所にいた。そこはアンダルシアだった‥ 
なんてことが起こります。これは困った例ですが、人の心と行動の幅広さの可能性を示すものです。

 JFケネディ空港でふとしたことで話した人と、恋に落ちて幸せになるかもしれないじゃん♪古くからあるハンカチを落とすという手も未来を変える方法の一つ。

 わざと現実離れしたお話にしたけど、荒唐無稽に感じるかも知れないけど、自分が決め込んだ現実しかないと思っているのは、そんな可能性をよけて生きているのと同じです。

 係長は係長として生きようと自分を限定するけど、その係長の人の魂は自由でどんな人生でも歩むことができる。係長自身がそれを知っているのが大切。

 あなたの職場はその意味ではいろんな人、いろんな生き方の人が来てくれる。その人がどんな「限定のマスター」か?その人の恐れは何か?観察できる絶好の職場なんだけどなあ。よく観察してればどうすればその人は幸せになれるか?何が足りないか他人だからこそ見えると思います。

 本気になった未来には近づけるし、どこかで無理と思ってれば現れないのが未来だと思います。ポニョが、宗介に会いに行くみたいなもの♪

 未来に対するそれぞれの頑固な傾向と選択を変えることができるかどうか?みんな恐れと不安でいっぱいだから自分のハンドルにしがみつくんだけど、ハンドルは握りしめない、そっと手を添えておく。

 自分の傾向を超えた選択と決意が未来を変えます。決めたら後ろを振り返らない、あれやこれや迷わない。すると人生はどんどん変わり始めます。

 大好きな自分の未来を決め歩み始めた方!あなたはどうぞそのままお進みください♪


 
 さっき、宮崎 駿 監督作品 「崖の上のポニョ」を観てきました。




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「崖の上のポニョ」公式サイトより






 海に棲むさかなの子ポニョが、助けてくれた宗介に会いたくて人間の姿になってやってくる・・・

 女の子ポニョが津波に乗って、夢中になって宗介に会いにくるシーン。そのただ一途に会いたい思いに胸が熱くなりました!

 僕たちが肉体を持ってまでこちらにやって来るのは、そのくらいの強い思いがあるから・・・

 思いっきり夢中な人生を、思いっきり楽しい未来を、思いっきり自分らしい自分を描いてみたいです♪人のせいにしてるような暇、人生にないよ!
 
 霊性の時代の夜明け 06


  平和を作り出す者



 コメントなしの紹介です。


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 毎日の瞑想は、最良の道具のひとつだ。瞑想によって、生命エネルギーを最高のチャクラに引きあげることができる---さらに、「目覚めた」ままで身体から離れることさえできる。


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 瞑想していると、身体が目覚めた状態のままで、全的な認識を経験する用意ができる。この準備ができている状態を「真の目覚め」と呼ぶ。だが、瞑想は単なる仕掛け、あなたが言う「道具」にすぎない。真の目覚めを経験するには、座って瞑想しなければならないとは限らない。立って行う瞑想もある。歩く瞑想もある。行動する瞑想もある。セクシャルな瞑想もある。

 瞑想とは「真の目覚め」の状態だ。

 この状態で立ち止まるというのは、道になかばで足を止めること、どこかへ向かうのをやめること、何かをするのをやめること、立ち止まってその場に「いる」こと、ただその場で本来の自分でいることだ。

 ほんの一瞬でも立ち止まることは、祝福に値する。まわりをゆっくりと見まわせば、通り過ぎるだけではわからなかったことに気づく。雨上がりの深々とした土の匂い。愛する人の左耳にかかる巻き毛。遊ぶ子供たちを見る楽しさ。この状態を経験するのに、身体から離れる必要はない。これが、真の目覚めた状態だ。

 この状態で歩いていれば、すべての花の香りを吸い、全ての鳥とともに羽ばたき、一歩ごとの足もとの感触を実感できる。美と知恵を発見する。知恵は美がかたちづくられるところにある。美は、すべての生命によってあらゆるところにかたちづくられている。探す必要はない。向こうからやってくる。


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 この状態で「行動」すれば、何をしてもそれが瞑想になり、あなたからあなたの魂への、そしてあなたの魂からすべてへの贈り物になり、捧げ物になる。

 皿を洗えば、手をひたす湯の温かさを楽しみ、湯と温かさの両方に感動する。コンピューターを使っていれば、指の動きに応じて目の前のモニターに現れる文字を見て、思いどうりに動く心身の力にわくわくする。夕食のしたくをすれば、食べ物を与えてくれた宇宙の愛を感じ、お返しに自分の愛のありったけを食事にこめる。その食事がごちそうだろうと、質素だろうと、それはかまはない。缶詰のスープだって、愛によって美味になる。

 この状態で性的なエネルギーの交換を経験すれば、ほんとうの自分の最高の真実を知る。恋人の心があなたのホームになる。恋人の身体はあなたのものになる。あなたの魂は、もう自分が他から離れているとは想像しなくなる。

 準備ができたとき、あなたははっきりと目覚める。微笑がそこへ連れていってくれる。シンプルな微笑みだ。一瞬、すべてを止めて、ただ微笑む。何かに向かって微笑むのではない。ただ、良い気分だから微笑む。心が秘密を知っているから微笑む。魂が秘密を知っているから微笑む。そのために微笑む。たくさん微笑む。その微笑が、どんな痛みも癒してくれる。


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 あなたは道具を教えてくれと言う。だから教えてあげよう。呼吸しなさい。これも道具だ。長く、深く呼吸しなさい。ゆっくりと、おだやかに呼吸しなさい。生命という無を、満ちあふれるエネルギーを、満ちあふれる愛を静かに呼吸しなさい。あなたが呼吸しているのは、神の愛だ。深く呼吸しなさい。そうすれば感じられる。深く、深く呼吸しなさい。そうすれば、泣きたくなるほどの愛があふれ出す。うれしくて、泣きたくなる。神に出会うから。神があなたをあなたの魂に紹介してくれるから。一度、これを経験すれば、人生は一変する。 ・・・・・

 ・・・・・ 日常の瞑想は、そこへ達する方法のひとつだ。しかし、努力し、献身しなければならない。外的な報酬ではなく、内的経験を求めようという決意が必要だ。

 このことも、覚えておくといい。沈黙は秘密を蔵している。だから、最も美しいのは、沈黙の音だ。それが魂の歌だ。魂の沈黙ではなく世界の騒音を信じると、迷ってしまうよ。 ・・・・・

 ・・・・・ 魂には、さまざまな歌い方がある。沈黙の美しい音は、あちこちで聞こえるかもしれない。

 祈りのなかに沈黙を聞く者もいる。仕事の歌を歌う者もいる。静かな瞑想に秘密を求める者もいれば、もっとにぎやかな環境を選ぶ者もいる。

 悟りに達すれば、あるいは、間欠的にでも経験すれば、世間のただなかにいても騒音は聞こえなくなり、気も散らなくなる。人生のすべてが瞑想になる。

 人生のすべては瞑想であり、神性に思いをいたす場である。これが真の目覚めであり、覚醒だ。この経験をすれば、人生のすべてが祝福される。闘いも苦しみも不安もなくなる。ただ経験があるだけだ。そこに好きなレッテルを貼ればいい。すべてに完璧というレッテルを貼ることもできるだろう。

 だから、人生を瞑想に、人生の出来事のすべてを瞑想にしなさい。眠りながらではなく、目覚めて歩きなさい。無意識にではなく意識して歩き、疑いや不安にわずらわされず、また罪悪感や自責にとらわれず、大いなる愛を与えられているという輝かしい確信をもちつづけなさい。

 あなたは、つねにわたしと「一体」である。いつでも、いつまでも歓迎される。お帰り、と。


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 なぜなら、あなたのホームはわたしの心であり、わたしのホームはあなたの心だから。そのことは死ぬときにきっと気づくが、生命あるときもそれを見つめるといい。そうすれば、死などないこと、生と呼ばれ、死と呼ばれるものは、どちらも終わりのない同じ経験の一部であることがわかるだろう。われわれは存在するすべてであり、存在したすべてであり、将来存在するすべてであり、終わりのない世界である。

 アーメン。



   「神との対話・3」  ニール・ドナルド・ウォルシュ   サンマーク出版
 
 自由が丘の先生に、この前少し教えていただきました。

 【ぬちぐすい】 これは食べ物のことだそうです。
   命 薬  (ぬちぐすい)と書く。
 【ぬちぐすいただきました】 【ぬちぐすいありがと】

 【なんくるないさあ】
 何ちゅうことないさあ。何とかなるさあ。という意味。





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 沖縄はまだ行ったことないけど!行きたいところ!沖縄の方によれば、

 「沖縄は日本で最もストレスの少ないところです。みんなゆったりしています。 まち合わせ時間になっても、普通に来ません。 それでも、わっはっはっはと楽しくすごしています。 私は沖縄を離れてはじめて、これが内地では通用しないことをしりました(笑) 沖縄は面白いところです。食べ物も、飲み物も、自然や生き物も面白いです。 人も面白く楽しいです。そしてあたたかいです」

 【てーげー】 (意味:適当)

 仕事に対して「てーげー」はいけませんが、 沖縄の人はけっこうてーげぇです。
 まぁ、その「テーゲー主義」をさらさら直す気もないようですが・・・(笑)




 いいなあ・・・ いいなあ・・・♪

 You Tube に 「千の風になって」 沖縄バージョンがありました。

 いいなあ・・・これですよ♪
 
 自分で決めないでいることも、出現します。

 自分で決めないでいることも、それなりの大事な意味を持ちます。

 自分で決めないでいることは、納得の出来ない体験、自分が流されていく体験になります。
 
 お散歩マーケットの 「あかね屋さん」にぶらっと行ってきました。出張のとき山のふもとを通るんですが、大抵次の予定があり右折できずに真っすぐ帰ってくるんです。

 去年の秋、 富士で拾った二匹の子猫 の育ての親になっていただいている「あかね屋さん」。 “ギンジ”と“ポコ”にも会いたくて♪



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“ギンジ”



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“ポコ”



 どうやら二匹ともマムシに咬まれたらしいのですが!たくましく、元気です!
 そして山の上、このご夫婦の側でのびのびと暮らしていました♪
 ありがとうございます!





 
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 本当は一頭100万くらいで売れ、特にクマの胆(い)が漢方薬として金より高いため乱獲されている。

 クマが被害者なのに、世のクマ常識は、一方的にクマを凶暴な加害者に仕立てあげたものばかりです。新聞が読めたなら、クマは無念さに泣くだろうと思いました。人間の無知、誤解、無慈悲が、かれらを絶滅に追いやっていることを知りました。いくらなんでもこれはひどすぎる。

 人道上からも我が国の環境保全上からも、誰かがこの問題に声をあげなければならない。自然のしくみを教えている理科教師の私が、声をあげるしかないと、ついに覚悟を決めました。

 学校に行き、まず二人の理科の先生たちに新聞記事を見せました。日本の奥地が大変なことになっているということになって、三人の理科教師が放課後、理科室に集まり、『野生ツキノワグマを守る会』という会を作りました。

 私は次の日、授業にいくとき、久々に胸を張って行きました。そして授業の終わりころになって、

 「みんなにやいやい言われていた、クマを守ってやろうという話だけどね。誰も守る人はいなかったんよ。それで、先生たち、、『野生ツキノワグマを守る会』という会を作りました。声をあげてみるね」

 と、言いました。生徒全員がじいっと見ていました。その後に起こったことは、いまだにどうしてあんなことになったのか、わけがわかりません。


 


 
             小冊子 「クマと もりと ひと 」より      つづく
 
 自分で決めたことは、出現します。 

 自分で決めたことは、この世に存在する意味をもちます。

 自分で決めたこととは、体験を通して出会います。

 
 
倶会一處 みんなで会ってる、今ここが天国。


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家族写真。




子どもは勝手に育つ。お母さんは子どもを追っかけて行けばいい。

素晴らしい魂が、素晴らしい体験をしようと、お母さん、お父さんを選んで生まれてくる。

そのまんまを感じちゃいましょう!今ここ、素晴らしいところ。

素晴らしい自分、素晴らしいあなた。どんな感じかな・・・・・ 

素晴らしいことしか起きていないんだ。


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家族写真。




あがない = 同調する(チューニング)

同調する(チューニング) = どんな感じかな・・・・・

どんな感じかな・・・・・ = あがない

・・・・・を生きる。

・・・・・ ← やると面白い。 

・・・・・ ← 寒い。

寒ければそれに対応する。

・・・・・ ← 熱い。

熱い。ひたすら椰子の木陰にいる。

椰子の木陰で東シナ海を見ている。それが極意。

御前崎に行ったら、御前崎を祝福してくる。

嵐だったら、嵐の御前崎を祝福してくる。


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ぶれてしまった家族写真。きれい♪




体験することが求められている。

体験そのものに意味はない。

一人一人が体験し意味を見つける。

一人一人が自分の音を響かせればよい。




8/3 瞑想会 メモ
 
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北京オリンピックの公式ロゴ!








 オリンピックが行われている。

 人は競うのが好きだなあー、と思う。どうしても順位をつけたい。
 勝敗を競うことは、あまり好きではない僕。
 スポーツに限らず、この競うことから離れていきたい。

 競うことには、自分(自国)にはポイントを、相手(他国)には自分よりポイントが上がらないことを、意識的にも(相手の失敗を願ったりね)、無意識的にも願うことが見受けられるから・・・ 自分が良い成績を取ればよい、今の学校教育を思いだす。みんな変だと思わないのかな?

 そこには、自と他の分離がはっきり感じられる。

 自分のすべてを傾けた努力。その結果が金メダルなら素晴らしいと思う。
金メダルを得た選手の笑顔、涙はそれがどの国の人であっても、その喜びが伝わってきて嬉しい!

 でも“金”以外はすべて同じという考え方の人も多いけど、どうだろう・・・
 頂上を得た人は、頂上を得られなかった人々の悔しさの上にいるのだ。
 決勝戦で敗れても、勝利者をたたえ、「いやー凄いね!おめでとう!」と態度で示せる選手が少しだけどいる。
 最高を得られなくとも、最高に輝いた人を心から祝福できれば、自と他
という対立から一歩抜け出たことになる。

 地球人類はいつ国境という幻想を越えられるのだろう。
 すべての人を家族と感じられるのに後どのくらい掛るのだろう。
 敗者を一人も出さない。それが真の勝利。




 競技を見ていると、すべての選手の努力に感動をもらいます!
 うまくいっても、うまくいかなくても、すべての国の選手を祝福します。

 メダルに輝いた喜びも、メダルに届かなかった想いも、魂の体験としての重みは同じ。メダルを取ったか取らなかったか。そのこと自体には意味がない。

 うまくいっても、うまくいかなくても、とても貴重な体験!
 ニッコリ と受け取りたい。
 
 乾癬は現代医療では原因不明で治療方法もない皮膚病である。




 原因は

 エドガー・ケイシー療法では腸壁(特に十二指腸空腸曲)が薄くなり、毒素が腸壁を抜けてリンパ系に入り血中に逆流する。いずれ腎臓と肝臓の毒素処理能力を超える量になり、肺と皮膚が排出プロセスに参加する。乾癬はこうして最終的な皮膚という出口から排出した毒素の現れたもの。




 治療は

 1.体内に蓄積した毒素をきれいにすること。

 2.それ以上、毒素を取り入れぬこと。




 実際に行うことは数多くあるのだが、食事に関することが特に多い!orz

 ◆ 一番食べてはならないもの。高温の油で処理したもの。フライ、天ぷら、炒めたもの、パンも油を練りこんだデニッシュ系はだめ。パイ、クッキー、だめ。

 ◆ ピザは最悪。

 ◆ 一番食べるといいもの。海草類。昆布、ワカメ、のり、ひじき。酢昆布、もずく、はだめ。

 ◆ 牛肉、豚肉、だめ。子羊の肉か鶏肉。皮と油身は食べない。生は食べない。

 ◆ 魚を食べる。北海産の白身魚が良い。油で揚げない。

 ◆ 生魚(刺身、寿司)はだめ。

 ◆ いくら、キャビア、アンチョビ、塩漬けの魚、スモークした魚、甲殻類およびそのソース、はだめ。

 ◆ 乳製品、基本的にだめ。

 ◆ 酸性食品をたくさん採らない。たんぱく質、でんぷん、砂糖、脂肪、油、肉、穀物、乾燥豆、クリーム。

 ◆ 茄子科の植物だめ。茄子、トマト、ピーマン、しし唐、ジャガイモ、パプリカ、胡椒、タバコ、だめ。

 ◆ 辛い香辛料。胡椒、唐辛子、ワサビ、からし、カレーだめ。

 ◆ 濃いソースや、濃いたれのかかっている料理は避ける。

 ◆ お茶(タンニン)、コーヒー(カフェイン)、牛乳、炭酸飲料、アルコール、だめ。

 ◆ 豆乳や山羊のミルクは湿疹の場合とくによい。

 ◆ ハーブティーにする。紅花やカモミールがよい。

 ◆ 辛口のワインをたまにグラス一杯は可。夕食時に黒パンと赤ワイン(60~120cc)を一緒にとると造血作用があり可。

 ◆ 酢だめ。サラダなどには、オリーブオイルに生レモンの絞り汁をかける。

 ◆ 甘いもの、できるだけ食べないように。

 ◆ 果物はできるだけ食べる。が、リンゴ、メロン、バナナ、みかん類、は他の食品と一緒に食べない。

 ◆ 小麦粉は全粒粉、米は玄米にする。砂糖は漂白しないもの。というかできるだけとらない。

 ◆ 科学調味料だめ。科学調味料の入っている食品は食べない。

 ◆ 保存料、人工香料、色素、添加物の多い食品を食べない。

 ◆ アルカリ食品と酸性食品を、8対2の割合にする。

 ◆ 顆粒状レシチンを食べ物に加える。レシチンは身体をアルカリに変え、腸の排出力を高め、血中コレステロールを減らしてくれる。

 ◆ 生タマネギは特に浄化力に富んでいる。

 ◆ 豆腐や豆乳は良い。油揚げや生揚げ、がんも、はだめ。

 ◆ 油をオリーブオイルにする。オリーブオイルは内臓の粘膜に良い働きをする。コレステロールを下げる。イタリアなど地中海諸国では心臓発作があまり起こらない。

 ◆ 低カロリー食にする。低タンパク、菜食、自然食、生のくだものと野菜、低脂肪、高食物繊維。

 ◆ 良い水を、ほかの飲料とは別に6~8杯飲む。

 ◆ 生アーモンドを毎日2~4個食べる。

 ◆ 持続と忍耐が必要。




 苦にはしていないが、現実は結構大変!
 今、このブログ書いてて、寿司がだめだと知り、ショック!知らなかった・・・
 毎月、久里浜に両親の身体のケアに行ってるのだが、一緒に回転寿司行くの楽しみにしてる。
 両親もショックだろう!楽しみにしてるから・・・
 これは治すしかない。




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 7つのチャクラ
 
     キャロライン・メイス著 サンマーク出版


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ペットボトルの中の風景






 第4章・第4チャクラ ---- 感情の力


 

 癒しへの6ステップ

 6.愛のことを考える。人への理解とすべてへの感謝の気持ちのなかに生きる。それが自分の態度、見方だけであっても、人生に変化を招き入れよう。そして、霊の道を多少でもきわめた偉人であれば誰でも語るメッセージをいつも思い出すようにする---自分の霊を、いまという瞬間に保て、ということだ。イエスの言葉を借りるなら、「死者は残し、生きることに専念せよ」。そして釈尊が教えたように「いまという瞬間しか存在しない」のである。



 癒しについて興味深いことは、誰に聞くかによって、これほど容易なものはないと考えるようになるか、逆にこれほどややこしいことはないと考えるようになるかのどちらかだという点だ。





 
 


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ペットボトルの中の風景




 第四チャクラは人間の気系の中心だ。私たちの人生にあるもの、あるいは人生に関することは、すべて心から生ずる燃料によって動かされている。そして、誰でも「心を痛める」ような体験をするようになっている。だが、ここでいう痛めるとは、大きく開かれる、という意味だ。どんなかたちで心を痛めることになろうとも、残される選択はいつも同じだ。痛みをどうするのか?それを言い訳にして、内面にある恐れにもっと自分を支配する力を与えるのか、それとも許しという行為を通して、物質界が自分を支配する力を手放すのか?第四チャクラにあるこの問いは、それに対する答えがあなた自身の解放となるまで、幾度となく繰り返されていくことだろう。

 第四チャクラにまつわる聖なる真理がもつ微細な気は、自分を発見し、自分を愛するようになる方向へと私たちを向かわせつづける。この愛こそが、「幸福」を見出すために欠かせない鍵なのである。私たちが「幸福」は自分の外にあると確信していても、霊の道に関するあらゆる文献は、それは内面にしか見つけることはできないと繰り返し指摘している。

 自分自身を知ることを恐れている人が多すぎる。自己を知るということは、孤独に生きることであり、いまの友人や伴侶なしに生きることだと思い込んでいるのだ。たしかに自己を知るということは、短期的には変化をもたらすが、同時に起こる長期的な成長は、恐れではなく気づきによって動かされるものであり、私たちに深い充足感を与えてくれる。直感的な意識を高めることを求めながら、その意識が人生を変えるのを防ごうとするのでは意味がない。霊的な意識への道は、心を通っていくしかないのである。神なるものを知る手段としてどんな霊の道を選ぼうと、この真理は決して変えることのできないものだ。

 愛は神なる力なのである。





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ペットボトルの中の風景
 
 7つのチャクラ
 
     キャロライン・メイス著 サンマーク出版


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ペットボトルの中の風景






 第4章・第4チャクラ ---- 感情の力


 

 癒しへの6ステップ


 癒しは単純なことだが、容易ではない。その段階は数少ないものの、相当の努力を要する。


 1.心の痛みの原因にせまるまで自分を癒すのだという、完全な決意をすること。これは内面に向かい、自分の傷を知ることを意味している。



 2.いったん「内面」に入ったら、心の傷は何かをはっきりと意識する。その傷は、あなたの人生において「傷のパワー」となってしまっているだろうか。心の傷を力にしてしまっているなら、なぜ自分は癒されるのを恐れているか、直視してみる。傷のことを明確にする過程で、その傷が何か、自分の成長にそれがどんな影響を与えているかを、誰かほかの人にしっかりと見てもらう。セラピストでも友人でも、このようなかたちで助けとなってくれる人が、少なくてもひとりは必要である。



 3.傷を言葉で表現したら、こんどは自分自身やまわりの人間に影響力をおよぼすために、どんなかたちで自分がその傷を利用しているかを考えてみる。

 たとえば、本当は元気でも、約束をキャンセルするために、その傷のせいで今日は気分が沈んでいる、と誰かに言うことはないだろうか。人を思いどおりにするために、あなたを見ていると自分の親を思い出す、というような言葉を使うことはあるか。過去にひたり、気分が沈むのにまかせることで、何か途中で投げ出したり、最初からやろうともしないという状態を自分に許してしまうことはあるだろうか。自分を癒すことで、特定の人との親密なつながりを失うと恐れていないか。自分の癒しへの道を選択すると、慣れ親しんだ人生のかなりの部分を捨て去ることが必要になるのでは、と心配してはいないか。

 三つめのステップでは、これらの問いに私たちはすべて正直に答えなければならない。人が健全になることを恐れるとき、その理由として最も意味深いものがここに表されているからだ。一日をすごしていく自分を見つめ、どんな言葉を選ぶか、「心理療法」的な用語をどう使っているか、そして「傷の言語」にどの程度たけているかに気づいていこう。

 そして、傷の力に頼らない、ほかの人との新しい関係のパターンを形成していこう。自分自身に語りかける場合を含め、言葉の選択を変えよう。このようなパターンを変えるのが困難ならば、痛々しい記憶を手放すよりも、その傷から得られる力を手放すことのほうが、ずっと難しい場合が多いことに気づくようにするとよい。傷の力を手放すことのできない人は傷への中毒を起こしているのであり、ほかのすべての中毒症状と同様に、そこから脱することは容易ではない。このようなステップに対処していくのに、セラピーなどの助けを借りることを恐れてはいけない。
 


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ペットボトルの中の風景




4.心の傷がもたらす可能性のある良い面、また実際にそこからもたらされた良い面を明確にする。理解と感謝の気持ちをもって生きるようにする。必要とあらば、「できるようになるまで、できるふりをする」。何か霊的な習慣をはじめ、それを守る。霊的な規律について、いいかげんな態度でいてはいけない。



5.感謝の意識が確立できたら、そこではじめて「許し」ということに挑戦できる。理論の上ではわかることはたしかだが、ほとんどの人にとって、実際の行動としての許しは、きわめてやりにくいものだ。その大きな理由は、許しというものの真の本質が誤解されたままだからである。

 許しは、自分を傷つけた人に対し、「もういいよ」と言うことと同じではない。しかし、ほとんどの人はおおむねそういう理解をしている。そうではなく、許しというのは、意識の行う複雑な行為であり、個人的に仕返しをする必要性や、自分を犠牲者として見るような視点から、精神と魂を開放するものなのである。

 許しとは、自分を傷つけた人びとを非難の対象から解放するというよりも、自分を犠牲者として見ることが、自分の精神におよぼしている支配的な力を手放すことを意味しているのだ。許しという行為がもたらす解放は、高次の意識へと移行するなかでやってくる。これは単なる理論ではなく、気的に、また生物学的に起きる現象である。それどころか、純粋な許しという行為のもたらす結果は、奇跡とよぶに近いものなのだ。私の考えでは、奇跡を引き起こすエネルギーは、実はそこに隠されているという可能性もあると思う。

 ほかの人を、そして必要ならば自分自身を許すためには、何をしなければならないかをあらためて考えてみよう。何かを完結させる話し合いのために誰かに連絡する必要があるならば、まず心の奥底に相手を非難するメッセージを抱いてはいないことをしっかりと確認しなくてはならない。もし抱えているなら、まだそれを手放して前に進んでいく準備ができていないことになる。完結させるのに必要な思いを手紙に書きたいなら、そうすればよい。だが、基本的な意図は自分の魂を過去から取り戻すことであり、さらなる怒りのメッセージを送るのではないことを確認することが不可欠である。

 そして最後に、自分のためにひとつの「正式な」儀式を行い、そこで過去から自分の魂をよび戻し、すべての心の傷がもたらす否定的な影響力を手放してやる。選ぶのが儀式であろうと、心のなかの祈りであろうと、新たなはじまりを画するために、許しのメッセージを「正式な」ものとして行動に移していかなくてはならない。

 




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 本日7日、NHKスペシャルで 「解かれた封印」 が放送されました。

 ジョー・オダネル。 真珠湾での仕打ちに日本人に憎しみを抱き、軍に志願する。原爆投下後の長崎、広島に入り、その破壊力を記録するため写真を撮影。原爆を投下した国にとっては終わった戦争が、日本の被爆者にとっては始まりであることを悲壮な体験のなかで知り、苦しむ罪のない人びとを見て日本人への憎しみは消える。

 軍に禁じられた「人びとへの撮影」に尽き動かされ撮った写真。あまりに酷い体験のために封印した30枚の写真・・・

 彼自身、撮影時の被爆により身体を蝕まれ亡くなるのだが、封印した30枚の写真をなぜ公開することにしたのか?彼と彼の息子が心を背けることのできなかった思い・・・涙なくしては観れませんでした。



 再放送があります。ぜひ観ていただきたいと思いました。

 8月27日(水) 深夜 【木曜午前】0時45分?1時34分 総合




 原爆投下を告発したジョー・オダネルは大多数のアメリカ人から反発を受けますが、そのアメリカでも放送されます。

 米国では、8月8日(金)夜に「TV JAPAN」チャンネルで放送されます。(西海岸午後7時、東海岸午後10時)




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原爆投下当時の浦上天主堂。爆心地から500m。





 
 7つのチャクラ
 
     キャロライン・メイス著 サンマーク出版


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ペットボトルの中の風景






 第4章・第4チャクラ ---- 感情の力

 ・・・私たちの文化は、全体として、「傷」と「犠牲者になること」から癒される方向に進化している。だが、いったん自分の傷という「力」のなかに入ってしまうと、どうすればこの否定的な力を手放して前に進み、傷の無い、自分に力が戻った状態になれるのかがわからなくなる。

 私たちの文化は、いわばまだ自分の傷から抜け出し、霊的な意味での大人となることができていない「第4チャクラ文化」だということなのだ。


 

 意識の高い自己の目覚め

 第4チャクラを体験し、その学びを得ることで、私たちは第4チャクラを越えて進歩していく。自分の心の内面に入ると、低いほうの3つのチャクラで慣れ親しんだ思考パターン、とくに集団精神に守られた状態から立ち去っていく。

 たとえば、「家族のことをまず第一に考える」とか、「妻を安心させなければならないので、仕事を変えることはできない」といったような、ひとつの習慣と化した思考の枠組みから解き放たれるのだ。そのうえで自分の心の入り口に立ってみると、そこにはただひとつの問いが待ち構えている。

---「私のことはどうなったのだろう?」という問いだ。

 この問いは、神へのよびかけであり、抑圧されてきてはいるが、克明に記録されてきた自分の感情のデータを再び手もとに戻してくる。これから自分が進むべき新しい道を、このプロセスが瞬時に決めてしまうこともある。集団意識の庇護のもとへ走って戻ろうとすることがあるかもしれないが、前はたしかにそこにあった安堵感は、もはや消え去っているのだ。

 自分を知るという大変な課題をはじめるとき、私たちは感情面の資質を発見することからスタートする。それもほかの誰かや何かに対してではなく、自分だけについてだ。 

 ◆ 自分は何が好きか?

 ◆ 何を愛しているか?

 ◆ 自分を幸せにしてくれるものは何か?

 ◆ バランスのとれた生き方をするのに、自分には何が必要なのか?

 ◆ 自分の強みとは?

 ◆ 自分自身を頼りにできるか?

 ◆ 自分の弱さは何か?

 ◆ いつもの行動に隠された理由とは何か?

 ◆ ほかの人間の注目や承認がほしいと思うのはどんなときか?

 ◆ 誰かと親しくなっても、自分が感情面で何を求めているのかを見失わない強さがあるか?




 --- このような問いへの答えを、誰からも影響されることなく、ひとりひとりが知っていく必要がある。これらの問いは、集団の問いかけるものとは別のものだ。集団はつぎのように問う。

 ◆ ほかの人と比べて、自分は何が好きなのか?

 ◆ 人に 魅力を感じさせる人間でいながら、自分はどれだけ強い人間でいられるか?

 ◆ 幸せになるためには、人から 何を得ることが必要か?

 ◆ ほかの人に愛してもらうには、自分のどこを変えるべきか?

 


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ペットボトルの中の風景




 私たちは、先にあげたような自己探求の問いに気楽に答えを求めることはしない。その答えが自分の生き方を変えさせることがわかっているからだ。

 1960年代以前は、このように自己の内面を探ることは、社会の主流からはずれたごく一部の人たちのすることだった。神秘思想家、芸術家、哲学者、その他の創造性あふれる天才たちだ。「自己」に出会うことは人間の意識の変容をもたらし、多くの芸術家や神秘思想家たちにとっては、劇的な結果をもたらした。うつ状態、幻覚、幻視、自殺未遂や制御不能な感情の激変などとともに、高次元の陶酔感や肉体的な、あるいはそれを超越したかたちのエロティシズムなどがおとずれたのだ。霊的な目覚めの代償はあまりに大きく、ほとんどの人には危険が多すぎた、「才能ある」ごく一握りの人たちだけのためにあると広く信じられていたのだった。



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ペットボトルの中の風景



 だが、1960年代の革命的なエネルギーによって、何百万人という人たちが、「私のことはどうなの?」と声高に叫ぶようになる。それ以降、意識改革の大きなうねりは、元型的な意味で第4チャクラの扉を開き、私たちの文化全体がその入口を通っていった。心の秘密を明らかにし、大人になってもパーソナリティを多く決定づける傷ついた子供時代の詳細を、はっきりと言葉に表したのだ。

 当然のことではあるが、私たちの「第4チャクラ文化」は離婚の増加を見た。第4チャクラが開かれることで、婚姻の元型は、パートナーシップの元型へと変容したのだ。その結果、現代の結婚がうまくいくためには、ほとんどの場合、これまで要求されてきた自己の放棄ではなく「強い自己意識」のほうが求められるようになった。

 自分自身について内面的な理解を明確に得てこそ、はじめて親密なパートナーシップをつくり出すことができる。離婚の増加は、第4チャクラの開放に直接つながっている。第4チャクラが人びとにはじめて自己発見を体験させるのだ。多くの人たちが、自分の結婚の破綻の原因は、相手に自分の感情的、心理的、あるいは知的なニーズへの理解がなかったためだと語る。そのために、真のパートナーシップをどこかほかに求めていかざるを得なかったというのだ。

 第4チャクラが開くことで、健康や癒し、それに病気の原因についての私たちの理解も変わった。かつて病気は基本的に低いほうのチャクラにかかわる原因、つまり遺伝や細菌などによってもたらされると考えられていたが、現在私たちは、害毒をもたらすようなストレスのレベルの高低が病気の源になると考えている。医療の根本概念が、「心の力」を軸に書きかえられようとしているのだ。
 
 
 お茶(タンニン)、コーヒー(カフェイン)、牛乳、炭酸飲料、
アルコール禁止!
 




 サフラン茶といってもスペイン・サフランではない。これは高い。

 アメリカ・サフラン(アメリカ・イエロー・サフラン)
 和名は「紅花」で、漢方薬店で容易に購入できる。スペイン種よりも効果があるうえ、値段も安く、簡単に手にはいる。

 乾癬のほか、裂傷、排泄不良、消化吸収の乱れ、毒血症、潰瘍などによく効く。つまり、サフラン茶は胃腸に作用して、消化管の機能障害からくる皮膚病を和らげてくれる。



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 ◆ サフラン茶の入れ方

  夜や就寝前に、茶さじ1/4杯のサフラン茶をカップに入れ、熱湯を注ぎ、
15分から30分ほどおき、濾して飲む。毎回新しく作り、症状が治るまでは休まず飲み続ける。
  うまいとは言わないが、素朴な味でけっこう好きかも。



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 夜や就寝前に飲むのが一番よい。このお茶の一番の効果は、肝臓と腎臓を浄化し、発汗を促し、腸の症状の治癒を助けることだ。サフラン茶は腸の殺菌薬としても知られている。これも治療上の大事な役割である。皮膚の症状がよくなるまで飲み続け、以後は排泄をよくするためにときどき飲むようにする。
 
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“Jack-go-to-bed-at-noon”






 治療の本の中に

 “金” を多く含む食品が出ていました。

 ・・・多く含むとされる食品はバラモンジン、人参、貝類である。

 と。

 バラモンジン? 初めて聞く名前?

 外国名かと思ったら・・・ 婆羅門参。れっきとした日本名ですね。

 午後には閉じてしまう花。英名は“Jack-go-to-bed-at-noon”とかいうそう。






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婆羅門が食べる人参?



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写真3枚お借りしました。








別名、セイヨウゴボウ。根っこを食べるようです。