魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
 シータヒーリングは良く痛みに効いてくれます。

 痛みや患部に対して、創造主に痛みを取るようにコマンドします。

 後は、体の中で働いているエネルギーを観察し、証人になります。

 創造主の大きな手から、フォアファオと優しい光があふれます。

 患部から黒い形の何かが出てきたり、

 痛みが空中(意識の中の)に浮き上がり粉々になって手の中に吸い込まれたり、

 痛みの神経から黒い繊維(細い虫みたいな感じ)が吸い出されたり、

 それが大きな手のひらに吸い込まれ、腕の中を通って天に運ばれ、創造主の光の中に消えていきます。

 ただ・・・ 痛みは消えるのですが、光は現れないのです。

 お腹の中から輝く光があふれ出したとき、癌は役目を果たし創造主の元へ帰ったと思えるのです。

 瞑想でも、光は自分を忘れたときに現れます。

 痛みを消すという自分を忘れないと、それは難しいのに気づきました。

 この点において福田せんせいの、『目的は忘れてひたすら自分を感じる』 は
一歩リードだと感じました。




 ところが世界は・・・ 面白いですね~

 土曜日の治療と、日曜の瞑想会と続けて高田馬場へ行ったのですが、瞑想会の帰り、お腹にそれまでにない痛みの感覚が起きたのです。

 ここで喜ぶ。ヤッター!   ってなれたかって?

 それは難しいですよね~ 笑;




 昨夜は百薬の長(まぁお猪口一杯です)が喉を通ると、お腹が痛くなったのです。

 でもまあ僕の目的はハッキリしてますので、シータヒーリングをしながら眠りにつきました。




 そのまま寝てしまったのですが、朝起きるとお腹の昨夜の苦しい痛みは無くなって楽になっていました。

 まだ痛みはちょくちょく起きます。

 夢見の中でも覚えているんですが、今まで痛みや癌の部分からは黒い何かが出ていたんです。

 それが創造主から光のビームが患部にあてられると、それは破壊的にも見えます。

 その後です・・・

 患部の内側から光があふれ・・・

 そこから黒い何かではなく、金色の光の粉?、光の粒?、光の泡?、がシュワシュワ立ちのぼっているのです!

 ヤッター!

 まさに癌細胞が、最高最善の正常な細胞に変容したんだって素直に思えました。

 福田せんせいが一歩リードって思いましたが、やはり同じですね。僕のシータヒーリングのレベルがちょっと上がったのかもしれません。

 『 光あれ! 』

 これ創造主の得意技でしたね。

 神は命令口調ですよね。断定的です。ここが大切なところ!

 無限分の1の創造主としてコマンドします。

 ちょっと偉そうに、^ ^、未来を断定するんです。

 『 はじめに言葉があった。言葉は神であった。 』 

 僕は言葉をつかって、創造主と一緒に自分に 『 光あれ! 』 をしたんですね。

 そして自分を通して、創造主が働いているのを見て証人になった訳です。




 ありがたいですね~

 いろんな方の顔を思い浮かべて感謝しました。

 世界に感謝しました。

 いっぱい愛を送ってくださった皆さん、本当にありがとうございます。

 本当に体験の中にしか答えはありませんね。

 それが体験の前にはなかった新しい自分を創っています。

 すぐに忘れてしまうので、新鮮なうちにUpしました。



CA390052.jpg
















 巾着田にも、もうじき春が・・・









 
 
 昨日は節分でした。

 じつは今日が新しい年の始まりです。

 昨日は豆まきのお話しなど、ラジオから聞こえてまいりました。

 豆まきの掛け声は 「福は~ 内!鬼は~ 外!」 が一般的です。

 福の神を家に招き入れて、鬼を家から追い出そうという意味に使われることが普通だと思います。

 でも古くは、鬼は自分の心に棲むものだとされてきました。

 日本人はいい感覚を持っていますね。

 この鬼を心の中から追い出す。というのが本来の意味です。

 でもこれも顕教的な意味になります。

 豆まいたくらいで、鬼がいなくなったら、この世界つまらないかな・・・

 心を内側に向けて、深く自己と繋がったときに訪れる喜びの状態が 「福は~ 内!」 になります。

 逆にハートの中心から離れ、心が外側に彷徨い出ますと、心は色々な粗雑なものに囚われることになります。

 密教的にはこれを 「鬼は~ 外!」 の状態だと言います。

 豆まきは新しい年を迎えるにあたり、心を外側ではなく、内側に向けましょう
という意味があるんですよ。





 前回、人々がそれぞれの悪魔性をルシファーのせいにした記事をかきましたが、、

 人は自分たちに都合の悪いもの邪魔なものを鬼や悪魔とし、自分の利益を
護るため増やすために葬ろうとするのが常です。

 鬼を退治した桃太郎は鬼の財宝を持ち帰り、英雄になります。

 こんなの男たちを死体の山にして、女たちを勝手に持ち帰ったってことです
からね。

 そして鬼の祟りを恐れて、神として祭ります。

 この手の神社は全国にあります。

 大宰府に流した菅原道真の祟りを恐れて、雷公に祭り上げたお話しは有名ですね。

 押さえておかないといけないのは、、桃太郎たちも実は犠牲者で、数多くの
戦死者をだしたとしても、こちらも英雄として祭られてしまいます。

 どこかに手を汚さない者がいるんですよ。

 人として産まれ、人の幸せを生き、神などに祭られずに、人として死んでいきたいものです。

 大ヒット、「この世界の・・・」 のテーマはこれのようですね・・・




 

https://www.youtube.com/watch?v=-zQWavER7to
 
CA391688.jpg





















 

 
 
 応用DNAのセッションで “傷ついた魂” の文字が飛び込んできました。

  “悲しみを超えた悲しみ” という表現もテキストにはありました。

 “悲しみを超えた悲しみ” なんてピッタリな表現だろう!

 いいいよ深い傷と向き合う時がきたことが分かりました。

 プラクティショナー(インストラクター)のHさんからは3日前から、この時に備えていたと伝えられました。





 僕のメモリーにある・・・

 それは宇宙が創造されて、さほど経っていないころのお話しです。

 僕はルシファーの3番目の弟子(うまく表現できず、これが皆さんに分かりやすい表現)でした。

 ご存じの方も多いと思いますが、ルシファーは神に戦いを挑みます。(そうされていますが、彼は新しい創造の可能性を試していたのでした。)

 彼は勝ち目のない戦いに、右腕(1番弟子)と左腕(2番弟子)を連れていきました。

 僕に「付いてきてはいけない。」 と言って戦いに出発したのです。

 この言葉はルシファーの僕に対する愛だったのですが、、

 この時の記憶が、今も僕の瞳の奥に刻まれていて、思い出すと涙があふれてきます。





 何度も皆さんにはお伝えしているんですが、創造主はあなたと共にあります。

 同じく、悪魔もあなたと共にあります。

 人間はとても悪魔的なことを思います。

 敏感な方は、自分がもっとも悪魔に近いことを薄々感じ取っておられるはず
です。

 でもそれでは都合がわるいので、その部分を潜在意識の中に押し込んでしまいます。

 潜在意識は簡単にいうと “自分の本音” のあるところです。

 最近、この部分が解放されて、日韓の政府間の約束が不履行になったり、TPPを発案した国の大統領が 「僕はそんな約束はしていない。」 と撤退したりしています。

 「アナと雪の女王」の中で、理想のいつも素直な娘はやめて、ありのままを生きると宣言したのと同じです。

 一歩前進です。

 ある意味、これは “FOR ME” を生きることで、そのためには他人はどうなってもいいという事になります。

 混乱の時期はありますが、気づきやすくなりました。

 悪魔性を自分の外に押しやっていました。悪いことはみんなルシファーのせいになりました。

 悪魔が囁きかけたと言ったりしますが、それは自分の本音で、本当はみんな人の行っていることなのですよ。

 ルシファーは皆を愛し、人間が好きだったので、人々がそう決めたならそれでもいいと思いました。

 それが僕の魂の傷です。

 まさか誰にも言えず、そんなこと誰にも理解してもらえるはずもなく・・・

 それは時を超えて僕のハートの中で生き続け、 “悲しみを超えた悲しみ” に
なりました。





 シータヒーリングでこの記憶が呼び覚まされ、いつもは声を出さず瞳の奥で
泣く僕が、声を上げて泣きました。

 ルシファーから 「長いあいだ良く耐えて頑張った。」 と言われて・・・

 「新たな自分を生きよ!」 と、言われているように感じました。

 Hさんから、「付いてきてはいけない。」 という意味は分かってる?という質問の答えなんですね。





 ヒーリングが行われているあいだ中、ハートから河が流れ出ていました。

 幅10~20mくらいありましたかね~

 水量の多い、波打つ流れの速い河でした。

 どこでも曲がることなく、その河は真っすぐに流れていきました。

 最後に、河はトンネルに流れ込みました。

 そのまま流れに乗っていくと・・・

 トンネルのその先に星々が煌めき、河はそのまま宇宙に流れ込んでいきました。

 そして驚いたんですが、この歌が宇宙いっぱいに流れだしました!





 長くなっちゃいましたね~ ^ ^

 僕がルシファーと別れた後・・・

 この後に “STAR WARS” が起こるんですが、お話しではなく本当にあったん
ですよ!

 大きな戦いが3回ありました。

 3回とも僕は現場で戦いました。

 成り行きで、僕は神さま側の軍に加ることになっちゃって、いやいや戦うんです。

 その当時を知る人から、僕の意見に従わなければ部隊の司令官を首にする
からという条件で参謀という役目を引き受け、、

 参謀として立てたのは犠牲者を出さない作戦。どちらの軍にも一人でも死んで欲しくなくそのためには何でもしたそうです。

 でもこれは又、もし機会が参りましたらお話しすることにしましょうね!

 わが師ルシファーは、今は光の天使ルシウェルになっています。ご心配なく・・・





 僕の “悲しみを超えた悲しみ” は随分と喜びに再創造されました。

 これから取り組む新しい “STAR WARS” は悲しみではなく、喜びを宇宙に
広げる戦いです。

 ダースベイダー卿と合体し、光が宇宙中に飛び散り、ビットコインという豊かさになり、誰でもが使えるようになるという夢の実現です。

 ハートの悲しみは、全部消えたわけではありません。

 まだメモリーがあります。

 Hさんから、ハートソングを教えてもらいました。

 創造主を通して、ハートの悲しみの歌を、自分の声を通して解放するものです。

 はじめはただ自分の声を胸に手をあてて聴いているのですが、だんだん歌になるのには驚きました!

 ほんとうに悲しみの歌でした・・・





 Hさん、3日間本当にありがとうございました。

 そして世界中の不思議さに感謝いたします。

 人々が孤独だと感じることなく成長できますように・・・





CA391628_convert_20170202133729.jpg





















 
CA391654_convert_20170126121133.jpg















 
 ビオトープにはった氷が日差しで融けて流れ出していきます。そんな季節
です。







 みんな! みんな! この世界を良くしようよ!

 僕たちは、みんな、創造主と一緒なんだよ!

 創造主といつも一緒に世界を創造しているんだよ!

 というか、僕たち一人ひとりが望まないと、創造主が勝手に世界を造るってことはないんだよ!

 創造主は限りなく優しいから、こちらの意志を無視して働くことはない。

 だから創造主は、今か今かと待っている・・・

 自分の力を使ってほしいとウズウズして待っている・・・

 世界を変えるって難しいことではない。

 それは自分を変えること、自分を解き放つこと、自分自身に自分の夢を叶えることを許すこと、自分を愛することを許すこと・・・

 自分に起きるどんなに小さいことも、そのまま世界(宇宙)に影響を与えます。

 自分で決めたどんな選択も、そのまま世界に反映されます。

 自身を救うことが、そのまま世界を救います。

 だから、 みんな! みんな! この世界を住みやすい世界にしようよ!

 それは難しいことではない。

 世界はいつも、“あ な た” のハートの真ん中で造られている。

 そこが、“世 界 が 始 ま る と こ ろ”。

 そこに “わ た し” はいます。

 その場所で、自分が自分らしくしていられる、そしてニッコリと微笑みが生まれることを “こ と ば” にしてください。

 いつも一緒にいる創造主に、その “こ と ば” に形を与えるように指示を出してください。

 創造主は指示がないかぎり、自ら力を振るうことはありません。

 そしてその “こ と ば” が形になる様子(創造主の力が働く様子)を見せる
ように言ってください。

 そしてその様子を観察して確認してください。(イメージで見えても、体で感じても、声で聞こえてくるでもOKです)

 そしたら、自分の望みが少しだけ世界を再創造したことを喜んでください。

 今まで、みんなが(潜在意識も含めて)望んだことで産まれたのが、今あるこの世界です。

 そこがみんなの幸せに繋がってないと思うなら、変えていったらいいだけです。

 幸せって、人が(動物が、植物が、形なきもの達が、宇宙が)幸せになるのを
支えてあげる力が自分にあることを知ることなのですよ!

 そんな人が始めは少しずつ・・・

 そして臨界点を超えたら、あっという間に世界中に増えていくことを、僕はハートの真ん中で温めています。

 “あ な た は 宇 宙” なんです・・・













 
 
 メモリーがいっぱいになると、その重みで前進する力が削がれるってお話しをしましたが・・・

 ライアーのヒーリングの中で、6歳のころの寂しそうな僕のメモリーを光の中に送ってもらったお話しをしましたが・・・

 それは思い出そのものを消し去ることではありません。




 記憶とはすでに過ぎ去ったもので、その時は現実であっても今はもうありません。

 あなたは今から目を瞑り、イメージの旅をしてみてください。その旅は世界一周のクルージングでも、ラクダに揺られての砂漠の旅でも、UFOに乗っての銀河の旅でもかまいません。

 さあ今、あなたは旅から帰ってきて、我が家で目をあけます。

 イメージであっても素晴らしかった旅のシーンを思い出すことも出来ます。

 あなたの現実の過去の記憶と、イメージの旅の記憶は、あなたの脳の中では全く同じ働きをすることを覚えておいてください。

 メモリーとしては同じなのです。




 例えば、自分が大切にしている人から見捨てられたり、目の前で肉親が残虐に殺されたような体験であっても、メモリーとしては同じなのです。自分がイメージの旅で体験した一コマと同じです。

 ただこのような重大なトラウマを引き起こす体験は、ただのメモリーなのに、
その人の人生に影響を与え続けることになります。

 もし自分の過去の体験、それを思い出すと、その影響で居たたまれなくなったり、怒りで体が震えたり、こみ上げる憎しみを押さえられなくなったり、体調が落ち込んでしまうのであれば、あなたはその思い出から自由になっていないのです。

 当事者が謝ったり、罪を償うことがないと、そこから変化できない人が多いの
ですが、それは解決する力を他人に預けてしまっているということです。自分
には力が無いと認めています。

 自分から許し、新たな一歩を踏み出せるなら、あなたは人生にこれ以上ない
宝をその体験から得たことになります。

 考えられないでしょうが、こうなった人は貴重な体験をさせてくれた相手に感謝を送ることになります。

 体験は食物と同じです。体内に入れて養分をとったら残りはサッサと排出するのが基本。

 6歳のころからいったい何年、このメモリーは僕の中で解放されるのを待ち
続けていたのでしょう・・・

 6歳のころの寂しそうな僕を光の中に送っていただいたというのは、、

 そのころの寂しい思い出を消し去ったのではなく、その当時の寂しさを思い
出しても影響を受けなくしたということです。

 メモリー自体を消して軽くなるのではなく、辛いメモリーと出会ってもグラつかず、記憶を直視でき、風を受けそよぐ草のようになる。

 自分の記憶から自由になる、それが自在ということです。



CA390510_convert_20170120160136_convert_20170120161048.jpg











6歳以前、憂いをおびる前の幼年G・・・








 
CA391679_convert_20170119182747.jpg















You Raise Me Up  MARTIN HURKENS




 心身ともに疲れ果て、心が折れそうになる。

 そんな時、君が横にきて座ってくれる。

 君が背中を押してくれる。

 君が支えてくれることが、僕が思っている以上の勇気を与えてくれる。




CA391676_convert_20170119182727.jpg



















 そんな内容の歌です。

 人々が立ち止まります。

 僕がこの歌を聞いて胸を打たれたように、人々も胸が熱くなっているのが映像からうかがい知れます。

 まるで歌っているこの人に支えてくれる優しいパートナーさんがいるようにも
取れますが、それは歌の中のお話し。

 現実には、この歌っている人。この老人が歌を通して周りの人たちの背中を
押し、支えています。

 存じ上げませんが、有名な歌い手さんなんでしょうね!

 本当~~に上手ですね! 心を優しく、そして強く、包み込まれてしまいます・・・

 そして、忘れている大切な何か・・・ 

 普段は忙しくって、置き去りにされているもの。

 目の前の仕事や、生活や、場所によっては目の前の戦争の場合もありでしょうか。

 しかし、どんな中にあっても、誰の心の奥にもある豊かな輝き・・・

 人々の足を止め、その人々の心の奥に働きかけ、それぞれが持っている輝きと一つにできる力。

 心の中にあるその豊かな輝きに、目に見えない橋を架けられる能力。

 僕の人生の目的はそこにあるのに気づきました。

 とっても素敵な方ですね~ チャーミングだし。 僕もこの方のようになりたい
です!

 勿論この方のように歌えませんし、チャーミングのほうもね!笑

 でも別の方法で、僕にも何か一つくらいはできる事があると思うんです。

 そしてこんな素晴らしい働きのできる人を一人でも二人でも地上に増やしたいと思っています。

 凄いですね~ 歌声ひとつで人はこんな事が起こせるんですね!

 

 
 
 メモリーが詰まっているとPCの作動がわるくなったりしますが、これは人間も
同じ。

 生まれたときはメモリーが空で(前世の記憶は別として)、なんの束縛もなく
歩むことができるけど、、

 生き続けているとメモリーが重たくなっていきます。

 メモリーは社会生活を営むうえでなくてはならないのですが、逆に僕たちは
自分のメモリーに縛られることになります。

 そのうえ人間は脳の理論性にも縛られているので、どのメモリーにも矛盾の
ない行動を行おうとする宿命があります。

 メモリーが増えれば増えるほど、自分の後ろにメモリーをいっぱい引きずって
しまい、前進する力を失っていきます。

 ときどきメモリーを捨てて、若い自分になれればいいですね。

 別の方法として、僕は自分の中の矛盾を許しています。

 でもメモリーには大切な思い出がいっぱい詰まっていて、それは痛みや、苦しさ、悲しさも含まれているんですが、、

 メモリーを捨てると、自分自身が無くなるようで、なかなか捨てられません。

 肉体が自分ではないように、記憶も自分ではありません。

 心とその機能でさえ、自分ではないって信じます?

 2日前、ライアーのヒーリングを受けてきました。

 僕の状態を感じながら、ライアーと声の波動が僕を包んでいきます。

 最後に、6歳ころの僕、寂しい姿の僕が現れ、そのメモリーを光の中に送っていただきました。

 5歳はなれの弟がうまれ、独り占めだった母の愛を失ったように感じて、その頃からづ~~~っと(多分親の家を出るときまでだと思います)死にたいという
思いに苛まれてきました。

 父の葬儀のとき、そのことを弟に話しました。ですから弟には冷たい兄でしたね。もう弟とは和解できています。

 弟も、兄はいろんな塾に行っていたけど(嫌なので長続きしたものはありません)、自分には何もしてくれなかったと言っていました。弟にとっては母の愛はみんな兄に注がれていたのですね・・・

 この事を弟の口から聞けて良かったと思いました。僕のせいではないかも知れませんが、そのことを知らずにいたこと、再度、弟にゴメンナサイをしました。

 バイオリンまで習っていたなんて初めて聞きました!あ~続けていれば良かったです。^ ^

 ミュージカル、Cats の中で歌われる Memory には二匹の猫が登場します。

 年老いた猫と、若々しい猫です。

 メモリーに押しつぶされそうな猫と、命に溢れる猫。

 誰の中にも両方住んでいるのだと思います。

 メモリーが悪いわけではありません。体験が魂に刻まれます。

 体験だけを連れて、この世を離れます。

 そして体験が魂を成熟に向かわせます。



CA391651_(1)_convert_20170116142541.jpg





















 
 暮れに父が旅に立った。

 この8日、親友のお母さまが逝かれた。

 「日本ではまだだけど、死にゆく人の枕元で 『チベットの死者の書』 の読み聞かせは必要よね。」 彼女がいう。

 僕も老人施設で 「死ぬのが怖い。」 「朝起きて生きているとホッとする。」 「どうして死んだらいいかわからない?」 等、お話しを聞くことになります。

 お話ししても、受け入れられる方と、話せない方がおられます。それは自然と分かります。

 話しの基本は、死は通過点で生の一部であること。一番輝いている光に向かって進めばいいこと。なんの心配もいらないこと。私とあなたは又きっとどこかでお会いするということ。

 細かいことは、その人その人で違うのでアドリブになります。

 一度でハジケル方は少ないですが、繰り返し繰り返しそのたびにお伝えします。

 その後、明るくなって老後の春を迎えておられる姿を拝見しますと、あ~良かったなあと思います。

 アメリカで長年活動を続けている“ダイイングプロジェクト”みたいなのを立ち
上げるのはいいですね。





CA391650_(1)_convert_20170115120814.jpg
















『バルドソドル』 おおえまさのり訳編





 
 生と死のむこうにある心の本質を知ることができたら、その生には意味が
あったという事になる。



 それが出来なければ無意味なことを積み重ねたにすぎないだろう。



 誕生のとき、おまえは泣き、全世界は喜びに湧く。



 死のとき、全世界は泣き、お前は喜びに溢れる。



 かく生きるのだ。



 死ぬこと、産まれること、そして生きること。

チベット死者の書 死と再生の49日(NHK 1992 )より




CA395158_2017011211050398d.jpg
















 もうすぐ6年。

 南三陸町。海があふれた海岸です・・・





 
 今日の、「伊集院光とラジオと」に土井よしはるさんがゲストで出ていた。

 ラジオから

 「一汁一菜のスタイルが日本料理の基本です。」

 「味噌汁、ごはん、漬物、この三角形があればOK。」

 「この基本を崩さない。それが日本料理の原点。」

 「味噌汁に入れていけない物はない。」

 「具たくさんの味噌汁でごはんを食べればよい。」





 この後・・・





 「味噌は人が作ったものではなく、麹菌という自然が作ったものです。全ての
食材が使える。自在なのです。」




 前回の福田せんせいの治療。

 「自在になる。」という指示が出ていました。

 自在って、自由自在のこと。分かってますよね~

 でも自分が自在になるって? どうよ・・・?




 「トマトを入れてオリーブオイルを垂らしてもいいんです。」

 「バターを入れたっていいんです。」

 「みんなが作るのが楽しい。それで、みんなが幸せになる。それが料理人の
仕事です。」





 目から鱗でした!答えは味噌汁の中にありました。




 「季節の変化によって、中身、何にしようかな?てのが料理です。」

 「味噌汁は究極の日本料理。自由自在、全ての可能性を含んでいます。」





 あす、福田せんせいの治療です。

 せんせい手元に予定表なかったのですが、

 「1月11日、午前11時からはどうですか?」

 「あ、それなら覚えられるよ~」







CA391631_convert_20170110194725.jpg















今日の巾着田での燻炭づくり。



CA391632_convert_20170110194750.jpg















楽しかった~!大人の火遊び。^ ^