魂のワークブック

何だろう?私と世界にプレゼントしたいもの♪

 
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 シュタイナーの勉強会の教材、「ベーシック・シュタイナー」が先日届きました。


 若いときに出会ったシュタイナーは、原文を読んでいるように難しく、放置本になってしまいました。

 「ベーシック・シュタイナー」はその意味では、分かりやすい言葉使いで読みやすいです。

 しかしその言葉の意味するところが、日常的な世界とかけ離れていますし、目に見えない世界(目に見える世界もふくめ)に及んでいますので、何度も読んで自分の中にイメージ化しようと思っています。

 たとえば魂は、僕にとっては、大きさがなく、境界がなく、時間がないイメージですが、シュタイナーですと魂は楕円形であり、中心は前脳にあり、そこに青く輝く球があり、そこから卵のような楕円形で青色が流れ出ている。となります。

 魂を、違う階層で表したものと思っています・・・




 内容とは別に、初回の勉強会で、先生と奥さまの在りようが心に残りました。

 以前持っていた、“大人・老人・成熟のために書かれた童話”(本の題ではありません)を思い出しました。



 ユング派の心理学者が書いたものです。

 世界中に童話がありますが、子どもや青年のための童話と、大人や老人のための童話があるそうです。

 子どもや青年のための童話は、英雄(男の場合)になる童話です。行くてに魔女や竜が立ちはだかります。スリルと冒険の中で敵を撃退、または従えて、最後はお姫様と結ばれます(宝物を得るエンディング)。

 最後は目出たしめでたしで終わるのが、子どもや青年のための童話の特徴だそうです。



 それに対して、大人や老人のための童話は、そのめでたい結婚の後のお話になります。

 大人はそれが、目出たしめでたしでは決して終わらないのは、百も承知していますよね!涙



 それは子どもや青年の “獲得” のお話ではなく、“喪失” のお話です。
 若さを失い、力を失い、美貌を失い、健康を失い、愛する人を失い、最後は命を失う。増えるのは歳とシワくらい・・・笑

 失う恐怖から、お金にしがみつく老人の気持ちは理解できます。

 この本では、年を取ると、

 年を取って、ただの老人になる。

 もう一つが、年を取って成熟する。

 人にはこの二つの道があるそうです。



 老人になる前に、中年期があります。
 ここをどう乗り切るかで、その後が違うようです。

 シャドウと向き合う。

 この時期に人は自分のシャドウと向き合う必要があります。青年期にはまだ自分の影に向き合う力はありません。影の中に押し込んでしまった自分自身との対決(シャドウも含めた自分像の確立)を避けては、成熟はありえないそうです。

 ペルソナを外す。

 魂自体には男女はありませんが、体を持って生まれると、どの文化も、女として男として育てられます。その中で女の中の男の部分、男の中の女の部分が封印されます。中年期以降はこの自分の中に眠る反対の性を寝覚めさせるのが大切だそうです。

 狩り(仕事)しか頭になかった男が、定年をきっかけに台所に立ってみる。家庭で生活を支えてきた主婦が、家の外に意識をもち、社会的な活動に参加してみる。などです。女として、男として生きてきた仮面を外す。そのことで人の中の女の部分と男の部分のバランスがとれていきます。

 死を受け入れる。

 死(肉体の死のこと。ほんとは死なない)を避けて通ることはできません。歳を取ってまいりますと、知り合いが一人、また一人と先に旅立っていきます。避けられない死をどのように迎えるか・・・ 安らかに受け入れられるか?自分自身がどのように生きてきたかが問われることになります。

 運命を受け入れる。

 生きていれば、良いことも悪いことも起こります。自分に都合の悪いことは、人や社会のせいにしてしまいがちです。済んだことをいつまでも拘っていたり、人を恨んでいては、いつも自分の人生が、自分以外の力によって決定されているのだと認めていることになります。運命を受け入れたうえで、自分の人生に自分で責任を取る。

 ユーモアを持つ。

 えっ!と思われる方もいらっしゃるでしょうが、ユーモアや笑いによって乗り越えられる問題はいくつもあります。自分の失敗や窮地が、誰かのユーモアによって救われた経験・・・ありませんか?ユーモアには深いところで自分を認め、人を認めることのできる心のゆとりが必要です。

 光になる。

 自分の生きてきたことを、次の世代のためや社会に還元する。人びとの幸せのために、自分自身を供物にする。(自己犠牲ではないですよ!安易な自己犠牲はいつも良い結果は生みません)


 以上のことが成熟するには大切のようです。一つひとつが大きなハードルだと思いますが、心がこれらの課題に取り組んだとき、目に見えたり、手に取ったりはできないけれど、これでいいんだ・・・という慶びに少しずつ近づいていける気がします。




 「花咲か爺さん」が、世界中で老人のために書かれた童話の中で、特にすぐれた一つに上げられていました。

 わが子のように育てていたポチを殺され、そのポチのお墓に育った木で作った臼を燃やされ、それでも隣の意地悪爺さんへの恨みごとを言わずに、その燃えてしまった臼の灰で、枯れ木に花を咲かせたお爺さんは、人間が成熟した理想の姿だといえるのだそうです。

 それは老人の行う魔法だと書かれていた、と記憶しています。


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